KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

たまに行くなら雄物川とダリア園がある田舎町~秋田市雄和地区をブラリ旅🏍️

スポンサーリンク

どーもKABUOです

 

秋田県秋田市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は雄物川沿いの自然に囲まれ

古代に創建された神社が多い

秋田市雄和地区を

ブラリ散策しましたので、

地区の歴史や町並みの様子等

ご紹介します

 

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

 

秋田市雄和地区をブラリ旅🏍️

 

雄和町役場

 

 

雄物川

 

秋田市中心地から

南部にあります雄和地区。

その歴史は1956年、

種平村・戸米川村・大正寺村の

3ヶ村が合併を行い雄和村が発足

その1年後に川添村が編入され

町制施行され雄和町が誕生します。

 

その後2005年に行われた

平成の大合併により

秋田市・旧河辺町と合併を行い

秋田市雄和として現在に至ります。

 

地名の由来は雄物川の流れにちなみ

郷土の融和一体を信条に、

清新な自治の伸長を祈念して

選名されたことが

地名の由来となりました。

 

 

高尾神社里宮

 

 

新波神社

 

雄和地区を流れる雄物川

古代秋田城から横手盆地を結ぶ

重要な経路と位置付けられ

雄和新波には白谷駅と呼ばれる

水駅が設置されていたと考えられ、

その為雄和地区には

高尾神社・新波神社と

古代に創建された伝えられる

歴史ある社殿が残されています。

 

 

街道の松

 

中世戦国時代には

由利地方・仙北地方の間にある事から

湊安東氏・豊島氏・赤尾津氏等の

大小様々な城や館跡が残され、

各勢力が入り乱れ合戦が行われたと

記録に残されています。

 

江戸時代には久保田藩・亀田藩による

雄物川舟運による輸送が行われ

相藩に多大な利益をもたらしましたが、

双方藩境を巡る領地の争いが絶えず、

また舟運による運行課税もまた

両者の争いに拍車をかける事となりました。

その舟運も明治時代以降の

鉄道の近代化によって徐々に影を潜め

1960年にその歴史に幕を下ろしました。

 

こちらの街道の松は

文政年間(1818-1831)に、

相川の徳右衛門ゆかりの

正治朗氏の篤志によって、

五穀豊穣と通行人の安全を祈願して

植えられたものと伝えられており

秋田市指定文化財に登録されています。

 

 

椿台城址

 

明治時代始め12代秋田藩佐竹義尭

江戸住まいの佐竹義諶に雄和椿川に

秋田支藩の城下町を築かせました。

しかし戊辰戦争の勃発により椿川は

秋田藩の防衛ラインと位置付けられ

秋田・庄内両藩が争う激戦地となります。

 

戦後義諶の子、義理が椿台城を築き

椿台藩2万石を称し統治にあたりましたが

僅か4年足らずで廃藩置県を迎え

椿台城は廃城となってしまいました。

 

 

石井露月の住家

 

 

秋田国際ダリア園

 

現在秋田市雄和地区には

正岡子規の門下生で医師としても

地域に貢献された俳人石井露月の住家や

毎年8月-11月頃に見処を迎える

秋田国際ダリア園には

多くの観光客が訪れています。

自然豊かな田舎町を訪れるなら

ぜひ秋田市雄和地区にお越しください

 

 

こちらが史跡の場所です。

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク