KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

鶴岡市の歴史と史跡をご紹介!(鶴岡市中心街 近世~近現代編)🏯

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どーもKABUOです

 

山形県庄内地方の歴史や史跡を

巡る旅に行ってきました。

今回は鶴岡市中心街を中心に

原始・古代から中世・近代

そして近現代を2部に分けてご紹介してます

今回は近世江戸時代から近現代をかけて

庄内藩の鶴ヶ岡城や菩提寺大督寺等

ご紹介します。

 

 

 

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鶴岡市の歴史と史跡をご紹介!(鶴岡市中心街 近世~近現代編)🏯

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鶴ヶ岡城跡

 

近世の時代 1598年

上杉景勝会津に移封された後も

庄内は上杉氏の所領とされ

直江兼続の支配を受けた。

しかし関ヶ原の合戦の結果、

西軍に与した上杉氏は米沢30万石に移され、

庄内は東軍に与した最上義光に与えられた

 

1603年、義光は酒田浜に巨大な亀が

上がったことを奇瑞として

東禅寺城を亀ヶ崎城、大宝寺城を鶴ヶ岡城、

尾浦城を大山城と改名している。

この時鶴ヶ岡城と名付けられた事が

現在の鶴岡市の地名の由来となりました。

 

鶴ヶ岡城の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

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山王日枝神社

 

義光は鶴ヶ岡城を整備し、

鶴岡の水害を防ぐための

現在の内川の線を流れていた

赤川の本流を熊出で締め切り

現在の河道に流し、

赤川から取水する青龍寺川を開削して

赤川扇状地の開発を進めた。

最上氏は青竜寺川の他に

中川堰・北楯大堰・因幡堰などの

大灌漑水路を開削して

庄内の国土建設に大きな足跡を残しました。

 

こちらの山王日枝神社

鶴岡地区で最も古い神社だとされ

鶴ヶ岡総鎮守三社の1つとして

歴代領主の尊崇が厚く、

「山王様」「お山王はん」と呼ばれて

地元の人々に親しまれており

1611年、最上義光が社殿を造営し

鉄鉢・鰐口が奉納されました。

 

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大督寺

 

庄内の経済発展に貢献した最上氏は

1622年、藩内不統一を理由に改易され

庄内は信州松代城

酒井忠勝に与えられ庄内藩を立藩。

幕末まで庄内は酒井氏が統治を行います。

酒井氏は拠城として鶴ヶ岡城を選んだが

入部当初の鶴ヶ岡城は直江兼続の修復や

最上義光の隠居城として

整備されていたとはいえ

14万石の大名としては貧弱なものだった。

 

鶴ヶ岡を拠城とした理由は

庄内の開発における将来性と政治的優位性、

反封建的な気風の強い酒田を避けた事が

考えられています。

酒井忠勝は14万石の大名に

ふさわしいものに拡張整備し

さらに城下町の町割りを行いました。

 

こちらの大督寺は酒井氏の菩提寺

藩主の墓碑が並んでいる他、

1889年、境内を小学校として開校、

生活困窮者の子供達の為に昼食を与えた事から

学校給食の発祥の地とされ

記念碑が建造されています。

 

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加藤忠広墓所(本住寺)

 

1632年、熊本藩主加藤忠広が改易の上、

庄内藩に預けられると大江町左沢に

1万石を与えられましたがこの時忠勝は

丸岡(鶴岡市丸岡)1万石へと変更を建言し、

その替地として庄内藩

左沢1万2000石を与えられ

2000石の加増となった

1647年忠勝が病死し、

その遺言によって三男忠恒に松山2万石、

七男忠解に大山1万石、

1682年に次男忠俊の子忠高に

余目5000石を分知した。

 

しかしその後丸岡藩領・大山藩領・余目領は

1653年忠広の死、1668年忠解の死、

1696年酒井忠盈の死によって

収公され幕府領となった。

これらの庄内の幕府領2万7000石は

尾花沢代官所支配や庄内藩預かりを経て、

1864年、江戸市中警備と

新徴組委任の功により

庄内藩に加封され庄内藩

17万石格式の大名となりました。

 

鶴岡市三光町にあります金照山本住寺は

熊本藩主から転落を遂げた悲運の大名、

加藤忠広および母正応院の墓があり

鶴岡市指定史跡に登録されています。

 

加藤忠広及び丸岡藩の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

 

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旧藩校致道館

 

藩財政の困窮から藩士の封禄を削除する

上米制度が始められると

郷村は疲弊して潰れる百姓が相次いだ。

9代藩主忠徳は酒田の豪商本間光丘を登用し

財政の再建に努めると

中老竹内八郎衛門・群代白井矢大夫らを

改革御用掛に任命し農政改革を断行、

その結果農村は立ち直り

藩財政は回復する事となった。

また白井矢大夫の意見により士風刷新のため

藩校致道館を創立し藩士の子弟教育を行いました。

 

旧藩校致道館を詳しく

ご紹介した記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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旧風間家住宅

 

近現代の時代、

庄内藩は幕府が募集編制した

新徴組を委任され江戸市中の警備に当たり、

1867年には江戸の薩摩屋敷を

焼き討ちするなど

佐幕の雄藩として活躍した。

しかし翌年1868年鳥羽伏見の戦いが起こり

幕府軍・新政府軍が争う戊辰戦争が勃発、

敗れた徳川慶喜幕府軍

朝敵として追討される事となったが

庄内藩は追討の勅命を奉ぜず庄内に引き上げた。

 

この頃奥州諸藩は薩長の横暴を憎み、

奥羽列藩同盟を結び会津藩に対する

寛容な措置を求めて新政府軍と交渉したが、

交渉は決裂し戦争は奥羽越に拡大した。

しかし新政府軍の圧力の前に

同盟を脱退する藩が相次いだので

庄内藩は違約の隣藩を攻撃、

新庄・本庄・横手を攻略して

久保田城に迫った。

しかし同盟側は各地で敗北が続き、

庄内藩は降伏する事となりました。

 

こちらの旧風間家住宅は

18世紀後半から越後から鶴岡に移住、

鶴ヶ岡城下で呉服・太物屋を営み

明治期には貸し金業を始め

酒田の本間家につぐ大地主に成長した

風間家の屋敷として使用された歴史があり

国指定重要文化財に指定されています。

 

旧風間家住宅の歴史や史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

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西田川郡役所

 

戊辰戦争後、庄内藩西郷隆盛に接近し、

前藩主酒井忠篤藩士50名余名を召し連れ

鹿児島に赴き西郷隆盛の教えを受け、

松ヶ岡開墾や忠篤のドイツ留学も

西郷の勧めによるものだという。

その後廃藩置県を経て酒田県が発足、

しかし旧庄内藩士により官職が独占され

新政府の政策に反発する勢力も多く、

また雑税の多さが際立ち

凶作による民衆の不満が募る中、

「天狗騒動」・「ワッパ騒動」と

減税を求める大規模な農民運動が多発。

 

1874年、初代山形県令も勤めた

三島通庸が県令として赴任すると

ワッパ騒動を鎮圧する一方、

新政府に反発する旧庄内藩士をおさえ

地租改正や学校教育政策を推進しました。

 

こちらの旧西田川郡役所は

 鶴ヶ岡城三の丸跡地に建造された

致道博物館内にあります

明治初期の擬洋風建築で

鶴岡市及び西田川郡一帯の政務が行われました。

 

致道博物館について

詳しく記載した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

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鶴岡駅

 

明治期に入ると

三崎新道・清川新道・加茂隧道と

多くの道路やトンネルが整備改修が行われ

また加茂隧道の完成によって

加茂港の移入物資が急増するなど、

交通物流が大きく発展を遂げると

1919年、鶴岡駅が開業、

1924年には現陸羽本線が全通し

庄名地方の地域経済に大きな影響を与えました。

 

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鶴岡市立加茂水族館

 

現在鶴岡市では荘内神社や藩校致道館等

庄内藩をテーマに多くの作品を残した藤沢修平、

湯田川・湯野浜・由良といった豊富な温泉地、

まクラゲで有名な加茂水族館

歴史史跡や温泉地に観光スポットが目白押し。

山形県に観光にお越しの際は

ぜひ鶴岡市を巡ってみてください

以上鶴岡市の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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