KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

庄内町の歴史と史跡をご紹介!(近世~幕末編)⛩️

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どーもKABUOです。

 

山形県庄内地方庄内町

歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。

 

前回の記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

今回は北館利長と狩川城、

幕末の志士清川八郎を中心に

近世江戸時代から幕末にかけての

同町の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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庄内町の歴史と史跡をご紹介!(近世~幕末編)⛩️

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北館大学利長像(狩川城跡)

 

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北楯大堰


近世の時代

山形城主最上義光山形藩を立藩すると

領国の経営を行います。

1612年、義光の命により

北館利長が狩川城に入城すると

立谷沢川より水を引き入れる

大規模な水路の開発が行われると

新田開発が進み数多くの村々が

新しく誕生することとなりました

 

庄内町狩川にあります狩川城跡に

米どころと呼ばれる庄内平野の礎を築いた

北館利長を祀る北館神社が建立されており

庄内町全域に利長が工事指揮を行った

北楯大堰が現在でも使用されています。

 

狩川城と北館利長の歴史と史跡を

紹介した記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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松尾芭蕉上陸の地

 

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清川関所跡

 

1622年、最上騒動により

最上家が改易されると旧最上領は分割され

庄内地方には酒井忠勝が入部すると

庄内藩を立藩し以後幕末まで統治します。

庄内町清川地区は最上川の舟運の要地として

人々や物流の往来により栄えた歴史があり

取り締まる清川関所が設けられました。

 

江戸時代になりますと

庶民の間で旅行が身近になった事から

西の伊勢参り東の奥参りと呼ばれるほど

信仰のある出羽三山詣での登山口として

清川は大いに賑わったとされています。

清川関所跡近くには1689年、

奥の細道で有名な松尾芭蕉が舟で

この地に上陸し出羽三山へと向かった事を

記念に建てられた銅像があります。

 

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清河神社(史跡御殿林)

 

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 歓喜

 

近現代の時代

1868年、幕府軍・新政府軍による

鳥羽・伏見の戦いの戦いを皮切りに

戊辰戦争が始まると

庄内藩庄内町清川にあります

御殿林で新政府軍と激突。

この戦いは清河口の戦いと呼ばれ

新政府軍の奇襲により苦戦しますが

松平甚三郎を総大将に庄内軍は応戦、

奇襲戦法なども功を奏し戦況を逆転させ

政府軍を撃退します。

 

この激戦の結果、

庄内軍戦死者13名、負傷者18名

新政府軍戦死者12名、負傷者50名

余りといわれており、

1893年、俳人正岡子規

御殿林が戊辰戦争の古戦場跡地と聞いて

清川に訪れた際「蜩の二十五年も昔かな」

という句を詠み偲びました。

 

御殿林にあります清河神社は

庄内町清川出身の幕末の志士

清川八郎を祀った神社で

14代将軍徳川家茂警護を目的とした

浪士組(後の新選組)の結成にかかわり

尊王攘夷の精神のもと倒幕運動を企てる等

明治維新の火付け役となった人物です。

その行動から江戸幕府に目をつけられ

1863年、34歳で暗殺されています

1908年、正四位を贈られたの機に

1933年、清河神社が建立されました。

神社境内には

清河八郎没後百周年記念事業の一つとして

1962年に開館した清河八郎記念館があり

県指定文化財に指定されている

清河八郎関係資が展示・収蔵されています。

 

また清河神社より程近いところにあります

歓喜寺は清河八郎墓所がある他、

清河口の戦いで亡くなった庄内藩軍兵の

墓が建てられています。

 

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六渕砂防堰堤

 

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新産業創造館クラッセ
 

現在庄内町ではコシヒカリつや姫などの

良食味米のルーツとなる

亀ノ尾発祥の地として

国内有数の穀倉地帯として知られ

米作りの他に酒造りが盛んに行われており

新産業創造館クラッセでは

庄内町の特産品が豊富に揃い

お土産を選ぶのにもぴったりです。

 

また出羽三山の月山や清流立谷沢川の他、

日本登録有形文化財に指定されています

六渕砂防堰堤大自然に囲まれた

魅力あふれる町となっています。

山形県庄内地方に訪れましたら

ぜひ庄内町にお越しください

以上庄内町の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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