KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

三川町 横山城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県庄内地方の歴史と史跡を

巡る旅に行ってきました。

今回は東田川郡三川町にあります城跡、

横山城の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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横山城の歴史と史跡をご紹介!

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横山城本丸跡

 

三川町横山にあります横山城

赤川右岸の段丘上に立地しており

標高10mの平地に築かれた

単郭方形式の平城になります。

赤川が南方から西方に流れて

自然の外濠をなし、

東・北は低湿地となっている。

東西72m・南北90m余で、

周囲を水濠が囲み東方に二の丸が

設けられたとされています。

 

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泉藏寺

 

横山城の歴史ですが

築城の時期は不明であるが

1512年頃、大宝寺城主大宝寺澄氏

家臣丸岡城主押切備前

横山城の移り城主となります。

この頃庄内地方を治めておりました

大宝寺澄氏とその庶流といわれる

砂越城主砂越氏雄との争いがあり、

鶴岡市大宝寺酒田市砂越の間に築城された

横山城は軍事的にも重要な拠点だったと

考えられています。

 

しかしその後天文の争乱により

横山城は横山大膳によって奪われましたが

1571年、大宝寺義氏は横山氏をはじめ

土佐林氏・安保氏等反大宝寺方を滅ぼし

庄内地方を手中に収めると

一族であります武藤氏広を

城主として配置し統治させました。

 

こちらの泉藏寺は

横山城主武藤氏広の菩提寺だとされ、

境内には武藤氏広の墓だと言われている

五輪塔が建っており

三川町指定史跡に登録されています。

 

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泉藏寺五輪塔

 

1583年、山形城主最上義光

調略を受けた前森蔵人によって

大宝寺義氏が自害に追い込まれると

大宝寺勢力が衰退、

氏広は一時的に最上氏勢力下に置かれましたが

1588年、義光の加勢を受けて

庄内地方を治めていました東禅寺氏庄内勢と

村上城主本庄繁長を中心とする上杉勢とが

十五里ヶ原で戦ったが庄内勢が敗れ

横山城は焼き討ちにされ

庄内地方は上杉氏の領地となりました。

 

その後、関ケ原の合戦を経て

再び庄内地方最上義光の統治下に置かれ

以後の横山城の記録は定かではありませんが

おそらく城代が置かれたと考えられており

1615年、一国一城令により

廃城となり取り壊されたと考えられています。

 

現在横山城は本丸を残し

遺構は殆ど消失してしまいましたが

中世の大宝寺氏の歴史がわかる

貴重な史跡として

三川町指定史跡に登録されています。

庄内を掌握した大宝寺氏に興味がある方は

ぜひ横山城に訪れてみてください

以上横山城の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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