KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

八郎潟町 浦城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

秋田県南秋田郡の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は八郎潟町にあります中世の城跡、

浦城の歴史や史跡をまとめましたので

ご紹介します。

 

浦城の歴史と史跡をご紹介!🏯

 

 

 

八郎潟町浦大町里ケ久にあります浦城、

西には八郎潟・南には馬場目川が流れ

山岳信仰により栄えた高岳山の

中腹を利用して築城された

中世の山城跡です。

 

築城年代は不明ですが

この地の統治を行った千葉氏によって

築城されたと考えられています。

しかし青森県津軽地方より南下しました

津軽安東氏と結託した三浦氏は

浦城を乗っとり南秋田郡北部一帯の

統治管轄を任せれました。

 

 

 

 

その後、津軽安藤氏は

檜山安東氏・湊安東氏と別れ

檜山郡(現山本郡)・南秋田郡と

各所領を治めていました。

 

檜山安藤方である安東愛季は

北秋田郡・鹿角郡まで勢力を広げ、

角館城戸沢氏や横手城小野寺氏と

対等に渡り合える程の

軍事力・経済力を誇りましたが、

湊安東氏方は強引な婚姻関係を結ぶ等、

一族の統一化を進めた結果、

湊安東氏方と度々対立する事となります。

 

 

 

 

1587年、安東愛季の死去に伴い

湊安東氏復興を唱える

当主安東通季により

檜山安東氏方に奮起を行い

湊合戦とも呼ばれる

一族同士の内紛が勃発。

 

浦城主三浦盛永は湊安東氏方に与し

檜山安東氏方が籠城する

檜山城の攻撃を行い、

戦いを一方的に有利に進めました。

 

 

 

 

しかし檜山城の守りは堅く、

檜山城主安東実季(秋田実季)は

諸勢力と手を組み

湊安東氏方の挟撃を行い

見事成功させ敗走させる事に成功。

 

この戦況の覆りによって

浦城も追撃され城は炎上し落城、

三浦盛永は城の裏手にあります

叢雲の滝近くで自害し果て

浦城の歴史が幕をおろしました。

 

 

 

 

現在浦城は地元有志によって整備され、

比較的に楽に登城する事が可能。

 

登城するまで大きな堀切り跡や、

見張り台や鐘付き堂が復元されており、

本丸跡には石柱とと井戸跡、

有志の方が建造されました

学習室が設置されています。

 

見張り台からは八郎潟町を望める

絶景スポットとなっていますので、

八郎潟町にお越しの際は

浦城までぜひ足を運んでみてください。

 

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