KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

にかほ市象潟町をブラリ旅して来ました🏍️

スポンサーリンク

どーもKABUOです。

 

秋田県にかほ市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は「東の松島・西の象潟」と呼ばれ

景勝地として知られ松尾芭蕉も訪れた

にかほ市象潟町をブラリ散策しましたので

ご紹介します。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

にかほ市象潟町をブラリ旅🏍️

 

 

 

秋田県南西部に位置するにかほ市

平成の大合併によって、

仁賀保町・金浦町・象潟町

合併され成立しら経緯があります。

ここ象潟町は古代の時代より

当時は蚶方(きさかた)と呼ばれ、

山形県庄内から秋田県秋田城を結ぶ

通称羽州浜街道と言われる

主要街道沿いに位置し宿駅が置かれ

古くから集落が形成されました

 

 

 

 

象潟町の中心部は塩越と呼ばれ

中世戦国時代には由利十二頭の仁賀保

江戸時代には仁賀保藩の居城が置かれ、

廃藩後は本庄藩の町奉行所が

設置され統治が行われます。

当時の象潟は冒頭でご紹介した

「東の松島・西の象潟」とも呼ばれた

小島がポツポツと点在した

美しい景勝地でありましたが、

1804年の象潟大地震によって

地殻変動が起こり

海底が隆起し陸地が形成されました。

 

 

 

 

未曾有の大災害でありましたが

財政難に苦しむ本庄藩は好機と捉え

新田開発を行いましたが、

古くから象潟を寺領として

維持管理を行っていた

蚶満寺24世覚林和尚は朝廷の力を背景に

徹底的に反対運動を行った結果、

島々は開発される事なく

現在の水田と小島が点在する

象潟の風景が残される事となりました。

 

 

 

 

1921年象潟駅が開業されると

駅を中心に現在の町並みが形成され

ブラリ散策しますと松尾芭蕉関連の史跡や

象潟町役場跡には

象潟で生まれ宮城県松島に嫁いが矢先

夫が早死し瑞巌寺の尼となった

心月庵紅蓮尼の碑が残されておりました。

 

象潟町中心街から離れると

蚶満寺の山門や塩越城跡の史跡、

温泉や道の駅も近くにありますので

ぜひにかほ市に観光に訪れた際は

象潟町をブラリ散策してみてください。

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク