KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

にかほ市 塩越城の歴史と史跡をご紹介!🏯

スポンサーリンク

どーもKABUOです。

 

秋田県にかほ市の歴史と史跡を

巡り旅に行ってきました。

今回は短い期間でありましたが

江戸時代に築城された近世の城跡、

塩越城の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

塩越城の歴史と史跡をご紹介!🏯

 

 

塩越城跡

 

にかほ市象潟町塩越にあります塩越城。

戦国時代に塩越の地侍

池田氏の居館とされる塩越館をベースに

築城された江戸時代近世の城郭跡です。

 

その歴史ですが中世戦国時代

由利十二頭と呼ばれた国人衆の一人

仁賀保拳誠は現在のにかほ市を中心に

勢力を広げ統治を行った人物でしたが、

関ヶ原の戦いでは徳川家康に与する

山形城主最上義光に味方した事から

戦後恩賞によって

茨城県常陸国の領土を与えられ

にかほ市を去ること事となります。

 

 

 

塩越城南側の様子

 

にかほ市含め由利郡一帯は

最上義光に与えられ統治が行われましたが、

義光死後に家臣団による内紛によって

1622年、最上家改易の処分を受けます。

旧領主でありました仁賀保拳誠は

大阪の陣で再び戦功を挙げた事から

1623年に10000石の領土の加増が認められ、

旧領土への帰参が認められた及び

塩越城の築城を行い仁賀保藩を立藩しました。

 

 

 

塩越城北側の様子

(象潟橋)

 

しかし仁賀保藩を設立して間も無く

1624年、拳誠は当然この世を去り、

遺命によって領地は子供ら3人に分割され

僅か1年足らずで仁賀保藩は廃藩。

 

塩越城は長男良俊が継ぐ事となりましたが

1631年、良俊世継ぎ無くこの世を去った為、

築城から10年足らずという短い期間で

塩越城は廃城となってしまいました。

その後塩越は本荘藩六郷氏の領有となり

塩越城跡地の一角に塩越町奉行が置かれ

幕末を迎える事となりました。

 

 

 

熊野神社

 

城の規模は東西約280・南北327m

本丸は東西60m・南北49m、

高さ4.5の石で側面を固めた

城壁があったと記録に残されており

城は九十九島へと通じる堀が設けられた

天然の要害であったと思われます。

 

現在塩越城跡地は宅地化が進み

遺構は殆ど残されておりませんでしたが、

塩越城の歴史を紹介した案内板や

象潟町二ノ丸といった

地名が現在でも使用されており

俳人松尾芭蕉が訪れた際の史跡や

戊辰戦争秋田藩荒川決死隊が

戦勝祈願を行った熊野神社等、

お城以外の見所も満載でした。

にかほ市にお越しの際は

ぜひ塩越城の散策を行ってみてください

 

 

こちらが店舗の場所です

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク