KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

鹿角市  錦木塚の歴史と史跡をご紹介!⛩️

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どーもKABUOです。

 

秋田県北秋田エリアを中心に

歴史と史跡を巡る旅に行って来ました。

今回は歌枕や世阿弥の演目として

全国に知れ渡り広がった、

錦木塚の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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 錦木塚の歴史と史跡をご紹介!⛩️

 

秋田県鹿角市十和田錦木稲生田に

あります錦木塚。

十和田南駅から程近く

錦木塚伝説公園内に

その史跡が残されています。

 

この錦木塚には

このような伝承が伝えられています。

昔、鹿角が狭布(きょう)の里と

呼ばれていた頃、大海(おおみ)という人に

政子姫というたいへん美しい娘がいた。

東に2里ほど離れた大湯草木集落の

里長の子に錦木を売り買いしている

黒沢万寿(まんじゅ)という若者がいて、

娘の姿に心を動かされた。

 

若者は、錦木を1束娘の家の門に立てた。

錦木は5種の木の枝を

1尺あまりに切って1束にしたもので、

5色の彩りの美しいものであった。

この土地では、求婚の為に

女性の住む家の門に錦木を立て、

女性がそれを受け取ると、

男の思いがかなった印になるという

風習があった。

 

 

若者は来る日も来る日も錦木を立てて、

3年3か月ほどたったところ、

錦木は千束にもなった。

政子姫は若者を愛するようになった。

政子姫は五の宮岳に住む子どもを

さらうという大鷲よけに、

鳥の羽を混ぜた布を織っていた。

 

これができあがって、

喜びにふるえながら錦木を取ろうとすると、

父はゆるさぬの一言で取ることを禁じた。

若者は落胆のあまり死亡し、まもなく、

政子姫も若者の後を追った。

父の大海は嘆き悲しみ、

2人を千本の錦木と共に手厚く葬ったという。

(Wikipedia引用)

 

 

この若者を埋葬した場所が

錦木塚であると伝えられており、

この伝承は全国各地に広がり、

世阿弥の演目や能因法師の歌枕、

紀行家の菅江真澄

言語学国語学者

金田一京助もこの地に訪れ、

金田一から伝説を聞いた

石川啄木はこの地に足を運び、

長詩「錦木塚」を雑誌「明星」に

発表しています。

 

結ばれぬ恋の悲しい結末( 。゚Д゚。)。

こりゃ~世阿弥に演目にもなりますよ。

あんまりこの史跡が分からずに、

ちょっと立ち寄っただけだったのですが、

しっかりと伝承を読んでから

訪れるとより深みのある

史跡巡りが出来ると思います。

鹿角市にお越しの際は

錦木塚に訪れてみてください。

 

 

こちらが史跡の場所です。

 

鹿角市の歴史と史跡

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