KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

鹿角市 花輪館の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

秋田県北秋田エリアの

歴史と史跡を巡る旅に行って来ました。

今回は中世の時代花輪氏が居城を行い、

盛岡藩代官所も設置された

花輪館の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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花輪館の歴史と史跡をご紹介!🏯

 

花輪館本丸跡

 

 

花輪館二の丸跡

 

秋田県鹿角市花輪中花輪にあります

花輪館。

現在花輪小学校が立地する

比高40m程の小高い丘に位置し、

主郭の規模は東西200m×南北110 m

程の広さがありました。

 

現在花輪小学校校舎がある場所が

本丸跡地だとされ、

グランドが二の丸跡にあたり、

周囲を囲むように当時の土塁が

現在でも残されています

 

 

花輪館見取り図

 

その歴史は1189年、奥州藤原氏の滅亡後、

安保氏・成田氏・秋元氏・奈良氏が

鹿角郡の地頭に任命され入部を行い

各地に根を張り統治を行いました。

花輪には安保氏が入部し

花輪氏と名を変え、

当初古館という場所にいましたが、

後に花輪館の本丸に移ったと

いわれています。

 

現地を歩き回りましたが

大手口から搦手口からの傾斜が結構あり、

衛生写真で花輪館を見てみると

周囲を福土川・西には米代川が流れ

防備を考えて築城されたのが見て取れます。

 

 

大手口

 

 

搦手口

 

花輪氏は庶子を各地に配置し

鹿角郡一帯に勢力を広げましたが、

青森県一帯で勢力を広げる南部氏が

鹿角郡へと侵攻を進め両者衝突、

同じく檜山城主安藤愛季は

比内郡・鹿角郡へと勢力を広げ、

花輪氏は安藤氏と与し

南部氏の居館臥牛館の攻撃に参加を行い

安藤氏の鹿角郡進出に大きく貢献しました。

 

 

 

北館(桜山神社)

 

しかしその後南部氏は再び鹿角郡へ侵攻、

花輪氏は戦いに破れ南部氏に屈服、

花輪城を召し上げられ、

かわりに大光寺正親が城主となり

城を中心に家臣団を配置して

花輪の町並みが作られてきました。

 

現在花輪館北館には

南部氏を祀る桜山神社が建立され、

春には桜が咲き地元住民の

憩いの場所となっています。

 

 

 

花輪館曲輪武家屋敷跡

 

その後、大光寺氏にかわって

毛馬内長次が花輪城代として入り、

1674年には中野康敬が城代となって

花輪館の郭の1つ樋口館を居館とし、

盛岡藩花輪通代官所が設置されます。

後に中野氏は南部氏の姓がゆるされて

花輪南部氏とも呼ばれ

幕末まで花輪近辺の統治を行いました。

 

花輪小学校の北側にあります

鹿角市歴史民族資料館一帯は

武家屋敷通りとなっており、

当時の雰囲気が残されています。

 

花輪駅からもアクセスが良く、

当時の道沿いや曲輪が残され

結構見ごたえがある館跡でしたので、

鹿角市にお越しの際は、

ぜひ花輪館を散策してみてください。

 

 

こちらが館跡の場所です。

 

鹿角市の歴史と史跡

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