KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

鹿角市 尾去沢鉱山の歴史と史跡をご紹介!⛰️

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どーもKABUOです。

 

秋田県北秋田エリアの

歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。

今回秋田県内でも最も古い

鉱山の歴史がある、

尾去沢鉱山の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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尾去沢鉱山の歴史と史跡をご紹介!⛰️

 

 

秋田県鹿角市尾去沢獅子沢にあります

尾去沢鉱山

その歴史は古く言い伝えによると

708年に発見されたとされ、

発掘された金は東大寺の大仏、

前九年の役奥六群に勢力を広げた

安部氏一族の経済基盤、

また奥州藤原氏も発掘を行い

京都へと金を献上したとも伝えられています。

 

受付で入場券が購入でき、

坑道へと入場する事が可能です。

坑道内は約総延長1.7kmとかなり広々!。

 

 

 

訪れたのは真夏のお盆の時期。

外はギラギラとした太陽が輝き

うだるような暑さで参っていましたが、

坑道の中は低く気温が一定に保たれており

広い坑道でも涼しく散策もとても楽チン。

その為日本酒の貯蔵所としても

使用されているようです。

 

 

 

江戸時代に入り鹿角群一帯は

盛岡藩南部氏によって統治が行われると

尾去沢鉱山は藩経営が行われました

鉱山の記録は主に盛岡藩によって

記録されてものが多く、

その記録では1599年、

盛岡藩士北十左衛門が尾去沢で

五十枚金山を発見した事に始まり、

1602年、西道坑が発見されて大いに賑わい、

京・大坂の商人との交易が盛んとなり

全国から多くの鉱夫が集まり、

最盛期には12000人を越え

その中には迫害から逃れた

隠れキリシタン

関ヶ原の戦いに破れた

落武者が集まり集落を形成したとも

いわれています。

 

坑道の中では当時採掘を行っていた

労働者の様子が蝋人形で再現されており、

当時の採掘機材や車両も多く、

とても見ごたえがありました。

 

 

 

坑道の一角には

当時の写真や歴史の年表が展示され

こちらの鉱山について知らなくても

詳しく歴史を学ぶことができ、

よりいっそう尾去沢鉱山

楽しめると思います。

 

 

 

17世紀後半に差し掛かると、

金鉱の堀り尽くしにより

一時枯渇の危機に陥りましたが、

新しく銅の鉱脈を発見出来た事により

息を吹き替えし、

愛媛県別子・阿仁銅山と

日本三大銅山と呼ばれるようになります。

 

明治維新後、紆余曲折を経て

1889年、三菱財閥の所有となり

近代化が推し進められましたが、

1960年代の貿易自由化後、

銅の価格が急落すると経営難に陥り、

また銅鉱石の枯渇から精錬が中止され

1978年、閉山に至りました。

 

坑道の奥へと進みますと

江戸時代の採掘を再現した

蝋人形が展示され、

奉行所や当時の鉱山夫の様子が

鑑賞できます。

 

 

 

ここでしか買えないオリジナル商品や

砂金取り体験も楽しめ、

坑道散策以外のアクティブ体験も充実!

おすすめ観光スポットですので

秋田県にお越しの際は

ぜひ尾去沢鉱山に訪れてみてください。

 

 

こちらが施設の場所です。

 

鹿角市の歴史と史跡

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