KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

酒田市 日和山公園でブラリ歴史散策を行った話⚓

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どーもKABUOです。

 

山形県庄内地方の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は酒田市にあります

桜の名所でも有名な日和山公園と

周辺にあります神社仏閣や

酒田市の歴史にまつわる

史跡等ご紹介します。

 

 

 

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日和山公園で酒田市歴史散策を行った話⚓

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日和山公園

 

山形県酒田市南新町にあります日和山公園。

庄内平野の開田によって豊穣の土地を背景に

海運・舟運によって繁栄した酒田市

北前船や西廻り航路により京都・大阪・江戸と

物資の往来により商人文化が華を開き、

「西の大阪・東の酒田」と呼ばれるほど

大変栄えた歴史を持つ港町です。

日和山公園は酒田港からも程近く

船運にまつわる史跡が多く残されています。

 

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常夜灯

 

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方角石

 

日和山公園の名称の由来ですが

酒田港に出入りした船頭衆が

ここから日和をみて出港を判断した事から

日和山と呼ばれるようになりました。

こちらの常夜灯1813年に建立され

酒田港に出入りした

船頭衆や回船問屋の寄進により

灯台として日和山の高台に建てられました。

 

方角石は船頭衆たちが日和や風の方向を

確かめるときに使用したもので、

現存する方角石としては

日本最古のものと言われています。

 

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木造六角灯台

 

こちらの木造六角灯台

1895年、最上川左岸河口に施工され、

棟梁は佐藤秦太郎といわれている。

その後対岸移され1958年、

高砂に近代灯台が完成するとともに

町内会連合会の熱意により

この地へ移築保存されました。

木造灯台として現存している

最古のものと言われており、

山形県指定文化財に登録されています。

 

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河村瑞賢像

 

1672年、徳川幕府は急増する

江戸の人々への食料供給として、

出羽の御城米を江戸に運ぶことを

屈指の豪商である河村瑞賢に命じた。

 

瑞賢はここ日和山に御米置場を設置し

酒田から江戸に回漕する西廻り航路を開発し、

米穀・紅花などの流通と海運の

向上に大きく貢献します。

これにより酒田の名声は全国に高まり、

日本海有数の良港として繁栄をもたらす

基礎を築かれました。

 

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千石船(日和丸)

 

河村瑞賢により西廻り航路が開発された

1672年から出羽の国の幕府米を、

酒田港から江戸に回漕するために

活躍したのが千石船である。

江戸時代、日本海沿岸の廻航路を

北前船又は弁才船と呼んだが、

千石船は文字通り米を千石(150トン)

積めるという意味で、

荒波にたえるためドングリ型となっている。

 

当時の酒田港には横帆一枚、

十数人の乗組員で西廻り航路八百里

荒波を往来した千石船などが

毎日数多く入港してにぎわいをきわめた。

この船は大きさとは原型の

およそ二分の一であるが、

現存する模型では国内最大のものである。

 

この修景池は河村瑞賢の開発した

西廻り航路と寄港地を表現し、

千石船が日本海を航海する様子が

再現されています。

 

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日枝神社

 

日和山公園の北側にあります日枝神社

最上川の流域変遷のため天文永禄年間

(1532年~1570年)頃より

対岸柚之浦(向う酒田)より当社を奉じて

東禅寺城の西方にあらたに酒田町が成立

その鎮守としてまつられたと云われています。

その後度々の遷宮が行われ現在地に移転、

1751年の大火によって類焼すると

1784年、本間光丘によって

現在の社殿が再び建立されました。

 

入り口にあります随身門は

本間光丘によって造営されましたが、

1894年の震災によって倒壊したため、

1907年、本間光輝によって再建、

門の下でかしわ手を打つと

日光の鳴龍にもおとらない響きがする他、

5月20日の例大祭では酒田山王祭りとして

古例のままに神宿の制による

厳粛盛大な神事が行われます。

 

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光丘神社

 

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光丘文庫

 

日枝神社から更に奥にあるのが光丘神社。

祭神は日枝神社の建立にも携わった

本間家3代目光丘氏。

本間家は新潟佐渡より酒田に移り住み、

初代原光は米や大豆・小豆・古手・染物

蝋・薬・瀬戸物などの商いを行い、

両替商や金融業を営みました。

光丘は酒田周辺の

湿地開発を行い大地主になると

庄内藩主酒井忠徳に認められて藩財政に参与、

農業改善・酒田港改修工事・砂坊植林業など

困窮している人々や近隣の諸藩を救う等

多大な功績を残しましました。

 

こちらの光丘文庫は光丘が

修学のために文庫を兼ねた寺院の建立を

江戸幕府に願い出たがついに果たせなかった。

その意思を受け継ぎ8代当主本間光弥は

1925年にこの光丘文庫が建てられ

その後1958年に建物と蔵書は

酒田市に寄贈される事となります。

 

光丘文庫は和書・漢籍・郷土資料・

個人蔵所など貴重な図書を6万冊余り所蔵し、

図書館のように市民には利用され、

1996年、市指定文化財に登録されました。

現在建物の老朽化が進んだため

2016年~2017年に

すべての所蔵資料と文庫機能を

酒田市役所中町庁舎5階・6階に移転し

所蔵文庫の観覧を行うことが出来ます。

 

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旧白崎医院

 

日和山公園から少し北側にあります

旧白崎医院。

名外科医として活躍された白崎重治の

外科医院として1919年に建てられました。

大正時代の建物では酒田に残る唯一の

木造洋風建築と貴重性が高いことから

本町通りから現在地に移転され保存、

酒田市指定有形文化財に登録されています。

 

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砂高山 海向寺

 

日和山公園より少し南東にあります

砂高山 海向寺。

弘法大師空海によって開かれたと伝えられ、

江戸時代より出羽三山

湯殿山信仰の拠点として

人々との祈りを支えた歴史があります。

境内には忠海・円明海上人の

即身仏が安置され、

観覧することが可能です。

 

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山王くらぶ

 

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舞娘茶屋 相馬樓

 

如何だったでしょうか?。

日和山公園には酒田市の歴史が充分に詰まった

見所ある観光スポットで

なかったでしょうか。

日和山公園から近い日吉町には

明治時代に造られた料亭跡も残り

ブラリ町歩きするのもとてもおすすめです。

酒田市に観光にお越しの際は

日和山公園周辺の散策に訪れてみてください。

 

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