KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

米沢市の歴史と史跡をご紹介!(中世戦国時代編)⚔️

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山形県米沢市の歴史と史跡を

巡る旅に行ってきました。

 原始・古代から中世・近世・近現代と

4部に分けて米沢市の歴史をご紹介します。

 

前回原始・古代の時代編はこちらです 

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今回は戦国大名伊達氏や

上杉景勝直江兼続が統治した

中世戦国時代を中心にご紹介します。

 

 

 

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米沢市の歴史と史跡をご紹介!(中世戦国時代編)⚔️

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成島八幡神社

 

中世の時代

1185年、奥州合戦により

奥州藤原氏を滅ぼした

源頼朝は鎌倉に幕府を開きます。

頼朝家臣大江広元は合戦の恩賞により

山形県西村山一帯と置賜郡一帯の

地頭職を得て領地を授かると

次男大江時広が置賜郡一帯を父から相続、

名前を長井氏と名乗り以後長井氏により

米沢市及び置賜郡全域が統治されます。

 

長井時広は鎌倉で政務にあたり

長井荘には家臣を派遣し統治させ

一説にはこの頃に現在の米沢城の場所に

館を設けたとされています。

しかし1385年、

福島県伊達郡を本拠地とする

伊達宗遠政宗親子は領土を広げるべく

長井荘へと侵攻を進め

戦いに破れた長井氏は滅亡、

以後伊達氏により置賜郡全域は統治されました。

 

こちらの成島八幡神社

777年、光仁天皇の命で

征夷大将軍大伴駿河麿が宇佐八幡を勧請し

戦勝を祈ったのが始まりと伝えられ、

坂上田村磨呂・源義家も崇拝した。

現在の拝殿は1383年、伊達宗遠により

本殿は米沢藩主3代目上杉綱勝によって

造営されました。

 

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舘山城

 

戦国時代

置賜郡を治めた伊達氏は

14代当主伊達稙宗の時代最盛期を向かえ

最上・蘆名・相馬氏を傘下に治め

着々と領土を広げます。

しかし1542年、嫡男晴宗との

確執により家督争いが起こると、

奥州大名を巻き込む5年にも及ぶ戦いは

天文の乱と呼ばれ伊達氏は一時勢力が弱体

奥州大名は再び独立を果たす事となります。

嫡男晴宗はこの戦いに勝利を治め

体制の立て直しを図るべく

本拠地を高畠城から米沢城へと移しました。

 

こちらの舘山城は米沢城の支城の一つで

防備に優れいざ戦が始まれば

防備の手薄な平城の米沢城を離れ

こちらの舘山城で籠城を行うこと

想定されたお城になります。

一説には戦国時代の米沢城は

舘山城を指しているのではないかと

考えられており、

晴宗・輝宗・そして独眼竜政宗

居城した歴史が残されています。

 

舘山城の歴史と史跡を

ご紹介した記事はこちらです 

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伊達政宗生誕の地碑

(米沢城松ヶ岬公園内)

 

17代当主伊達政宗の時代、

米沢城を本拠地に各地で転戦を重ね、

1589年、摺上原の戦いにより

会津蘆名氏を滅ぼし南奥州の覇権を掌握、

黒川城(会津若松城)へと居城を移します。

しかし時は豊臣秀吉による

天下統一が目前に迫る時代でもあり

最後の総仕上げとして関東北条氏を討つべく

小田原城攻めが行われようとしていました。

 

1590年、北条氏討伐を目論む秀吉は

自分に恭順する武将を見定めるべく

東北各地の戦国大名に救援要請を行います。

父輝宗の時代から北条氏とは

同盟関係を結んでいたため

政宗は秀吉と戦うか小田原に参陣すべきか

直前まで迷いましたが

家臣片倉景綱の進言もあり

秀吉に与し小田原へと参陣しましたが、

戦後大名間の私闘を禁じた惣無事令より

会津蘆名氏との戦いを

咎められ会津領土は没収、

米沢城へと再び居城を移す事となります。

 

1591年、小田原参陣を怠った

奥州大名に対し奥州仕置が行われると

伊達氏旧領土でありました

宮崎県大崎市石巻を本拠地とした

大崎氏・葛西旧家臣による一揆が勃発、

この一揆の背景には旧領土奪還を目論む

政宗が裏で糸を引いていると

疑惑の目を向けられてしまった事から

宮城県岩出山へと移封される事となりました。

 

米沢城内には伊達政宗の生誕の碑の他に、

米沢藩上杉氏にまつわる史跡や

上杉謙信公を祀る上杉神社が建立され

米沢市きっての観光スポットとして

多くの参拝客が訪れております。

 

米沢城の歴史と史跡を

ご紹介した記事はこちらです

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前田慶次の甲冑

 

伊達政宗宮城県岩出山に移封に伴い

1591年、米沢及び置賜郡

会津若松城蒲生氏郷

領土へと編入されましたが

1597年、氏郷の子秀行の時代

栃木県宇都宮に移封されると

新潟越後より上杉景勝が移封、

会津・米沢置賜郡の統治を行いました。

 

1600年、関ヶ原の合戦では

徳川家康東軍に与した最上義光を牽制すべく

上杉氏家臣直江兼続は米沢城より出兵、

この戦いは東北の関が原、

慶長出羽合戦とも呼ばれ兼続は破竹の勢いで

最上勢の支城を攻め落とし

山形市長谷堂城で激戦を展開しましたが

石田三成方西軍は敗北、

戦後上杉家は減封を言い渡され

米沢の地へと居城を移す事となります。

 

こちらの甲冑は

上杉家家臣として最上義光と戦った

前田慶次真紅のの甲冑です。

花の慶次で知られている

前田慶次は上杉家と共に米沢に移り住み

晩年米沢市堂森で余生を過ごしました

 

前田慶次の歴史と史跡を

ご紹介した記事はこちらです。

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以上米沢市の歴史と史跡

中世戦国時代編でした

次回は近世江戸時代を

中心にご紹介します。

 

米沢市の近世江戸時代の

歴史と史跡を紹介した記事はこちらです。

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