KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

東根市の歴史と史跡をご紹介!(原始古代~戦国時代編)⚔️

スポンサーリンク

どーもKABUOです。

 

山形県東根市の歴史と史跡を

巡る旅に行ってきました。

中世にから近世にかけ

東根城を中心に栄えた歴史や

特産品さくらん佐藤錦の誕生等、

古代から近現代までを時系列に

ご紹介出来ればと思います。

 

今回は原始古代から

中世戦国時代までの

歴史と史跡をご紹介します

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

東根市の歴史と史跡をご紹介!(原始古代~戦国時代編)⚔️

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606175546j:plain

 

東根駅


東根市の歴史ですが

1889年、町村制施行に伴い

東根村、東郷村、高崎村、大富村

小田島村、長瀞村が発足。

1896年、東根村が町制施行して東根町へ

1954年、東根町と各村々が合併を行われ、

1958年、市制施行され東根市となります。

 

東根の地名の由来ですが

盆地の東に連なる山々の麓に

ひらけたことが地名の由来となりました。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200604180012j:plain

 

東根市役所

 

原始古代の時代、

東根市を流れる乱川扇状地を中心に

集落の形跡や旧石器が発掘されており、

沼沢沼遺跡、小林遺跡、

蟹沢遺跡、花岡遺跡等、

縄文時代40ヵ所、弥生時代2ヵ所

発見されます

 

古墳時代に差し掛かりますと

6世紀頃に造営されたと考えられる

大塚古墳が発見され土器破片が

多数発掘されましたが

北村山公立病院の建設に伴い

現在遺構が殆ど消失してしまいました。

 

平安時代、東根は山形盆地の中でも

古くから開発されたと考えられており

北西部の低湿地から開拓され、

市内郡山には郡役所が設置されると

政治上の中心地と栄えました。

  

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180718234926j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200605230050j:plain

 

黒鳥観音

 

最上三十三観音19番札所であります

黒鳥観音は723年、

慈覚大師作と言われている

大和国長谷寺十一面観音を勧請し、

その祠を山腹に建てたことから始まり

享保年間(1716~1735)

龍興寺住職崇容和尚によって

観音堂の再建を発願。

郡奉行の多賀谷次郎左衛門が

工事を指揮しお堂を完成させました

 

お堂に入りますと

死者との婚礼を行う風習、

ムサカリ絵馬が天井から

壁面一面に奉納されており

古くから村山に伝わる文化に

触れることが出来ます。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606191406j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606190822j:plain

 

大森山の磨崖仏

 

中世の時代、

東北地方では記録のうえで

最も古い小田島荘が成立すると、

鎌倉期には武蔵国御家人中条兼綱が

地頭として入部。その子孫は小田島氏と称し

この地を統治しました。

 

東根市大森山にあります大森山の磨崖仏は、

鎌倉期末期に創建されと伝えられており、

大岩の上段には五智如来

下段には六地蔵が刻まれ

東根市指定有形文化財に指定されております

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606175007j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200526221400j:plain

 

東根城跡(東根小学校)

 

南北朝時代の動乱の最中

小田島氏は南朝派の武将、

結城氏の配下に入りましたが

後に結城氏は北朝派に与した為、

1356年、小田島長義は結城氏を排除、

東根城を築城し北朝派に対し

徹底交戦を行います。

 

しかし羽州探題斯波兼頼が山形に入部すると

南朝派の勢力を次々と撃破すると

小田島長義は城を捨て敗走、

その後、斯波兼頼は最上と称し

東根の地を統治する事となりました。

 

南北朝動乱と小田島長義を

詳しく記載した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180330221156j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606191007j:plain

 

蟹沢楯跡

 

最上氏は村山地方を統治するにあたり

最上直家の五男最上兼直を蟹沢に、

分家である天童氏より天童頼高を東根に、

長瀞地区にあります長瀞城にも

一族を配置する一族分封政策を行いました。

 

蟹沢地区にあります蟹沢楯跡は

1550年、東根市大宇沢渡の沢渡楯から

阿部氏が移り住んだと記録に残されており

遺構が殆ど消失されておりますが

蟹沢楯近くにあります八幡神社

楯を守護するために建造されたと

伝えられています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606191212j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606191247j:plain

 

東根の大ケヤキ(東根小学校)

 

東根城に入城した天童頼高は

名を東根と称し東根地方の統治を行い、

同じ一族であります天童氏と共に

東、北村山地方一帯まで勢力を広げましたが

宗家である最上義光と対立する事となると

六田、長瀞の国人衆等と

連携し抵抗を試みます

 

しかし1581年、

最上義光の調略によって家臣団が裏切り

東根城主東根頼景は天童氏と共に

滅亡に追い込まれてしまい、

その後最上義光がこの地を

統治する事となりました。

 

戦国時代の東根城の歴史を

詳しく記載した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200606191741j:plain

 

宮崎陣屋跡

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200605204339j:plain

 

代官・田口五郎左衛門功徳碑

東根陣屋跡

 

1600年の関ヶ原の合戦後、

最上義光山形藩を立藩すると

東根城を中心に城下町の整備が

本格的に行われます

 

しかし最上義光の死後、

最上家臣団は争いが絶えず、

1622年、幕府の命を受け最上家は改易

そして目まぐるしく藩主が変わる中、

1644年、東根城が廃城しました。

 

その後、東根の地は各諸藩の飛地

幕府領土と統治者が変わり

東根市宮崎と東根城跡地に

宮崎陣屋・東根陣屋が設置され

幕府の直接管轄化に置かれました

 

写真の宮崎陣屋跡は、

東根市長瀞にありました

尾花沢代官出張陣屋を宮崎の地に移転、

陣屋として使用されましたが

その後、東根陣屋と共に統合され

短い期間の陣屋でありました。

 

田口五郎左衛門功徳碑は

東根小学校前に創建され

1817年、東根陣屋に代官として赴任した

田口五郎左衛門に対する手厚い心配りを

感謝する内容が石碑に刻まれています。

 

以上、

東根市の歴史の史跡、

原始古代~中世戦国時代編の

ご紹介でした。

 

次回は近世江戸時代から近現代までの

歴史と史跡を紹介します。

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク