KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

山形県 最上町の歴史と史跡をご紹介!🏞️

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どーもKABUOです。

 

2019年9月

 

山形県最上町を巡る

プチ旅行に行ってきましたので、

同町内にあります観光スポットや

歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

 

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最上町の歴史と史跡をご紹介!

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最上駅

 

山形県最上地方、最上町。

 

1954年、

大堀地区を中心とする西小国村

向町地区を中心にする東小国村が

合併し発足したのが最上町になります。

 

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最上町役場

 

町名の由来ですが、当初小国という

地名を使用しようと考えたそうですが、

同じ県内にあります置賜地方小国町と

名前が重なってしまう事から断念し、

最上地方の名前を取り、

最上町という町名となりました。

 

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太郎田観音

 

古代の時代、

秋田県雄勝地方から最上地方にかけ

蝦夷の勢力が強く、

中央政権の浸透は困難であった。

 

平安期に入って当地方の支配が

安定した結果、往来の最上郡は

886年、最上・村山の

2郡に分割された。

(角川日本地名大事典引用)。

 

と記録に残されており、

 

伝承によりますと奈良時代にかけ

伊豆国から流れ着いた伊豆三郎

安芸の国から同じく流れ着いた

田沢内之助によって同地区が開墾され、

 

川の氾濫が続き泥沼のような

土地柄だった為、思うように

稲作が育たちませんでしたが、

 

ある時、1羽の白鷺が飛び去り、

伊豆三郎と田沢内之助2人は

びっくりしてその辺を探してみると、

そこには観音像が立っており、

観音像を家に大切に持ち帰り安置した。

 

また尊像があった所に稲作を試みた所、

稲が生育し毎年豊作が続いた事から

二人は観音像に一層信仰心を深め

家族を招き入れ開墾を進め、

各村々が開拓されたという

伝承が残されております。

 

こちらの太郎田観音は

伊豆三郎と田沢内之助によって

創建された古い歴史を持つお寺で

太郎田と言う名前は初めて種を蒔いた

ところと言う意味を持っており

最上三十三観音32番札所になります。

 

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赤倉温泉

 

また同じ時期、

山寺立石寺開基の円仁、

または奥州一体をを支配した

阿倍貞任の子孫により

同町にあります赤倉温泉

発見されたと伝承に残されております。

 

赤倉温泉の歴史や史跡は

こちらの記事で詳しく記載しました。

 

www.yamagatakabuo.online

 

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瀬見温泉

 

中世の時代。

 

鎌倉時代に差し掛かりますと

兄、頼朝に追われた源義経、弁慶一行が

亀割峠を越え平泉に逃れる最中、

 

正室であります北の方に陣痛に襲われ

産湯を探して求めた弁慶によって

瀬見温泉が発見されたいう

伝説が残されております。

 

瀬見温泉の歴史や史跡は

こちらの記事に詳しく記載しました

www.yamagatakabuo.online

 

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小国城

 

戦国時代の頃、

最上町一帯は小国郷と呼ばれ

細川直元によって統治されますが

最上義光の軍勢によって

攻め滅ぼされてしまいます。

 

その後。最上家臣、蔵増氏によって

小国城が築城され統治を任されますが、

 

1622年、

最上家改易によって小国城は廃城

あらたに新庄藩戸沢氏によって

幕末まで最上一帯を

統治される事となりました。

 

小国城の歴史と史跡は

こちらの記事で詳しく記載しました。

www.yamagatakabuo.online

 

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封人の家(旧有路家住宅)

 

江戸時代になりますと

最上町向町には出羽三山に参拝に訪れる

参拝者の宿場町としての機能や、

 

最上川舟運から大蔵村清水河岸から

運ばれた物資を仙台藩に運ばれる際、

拠点所として栄えた歴史があり、

 

また奥の細道で有名な松尾芭蕉

最上町を訪れ宮城県大仙市鳴子地区から

出羽街道中山越を通り、

 

同町、 堺田地区にあります

有路住宅に宿泊した記録が

残されております。

 

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山刀討峠

 

その際、寝床が無かった為、

仕方なく馬小屋に通されてしまい

ノミやシラミ、馬の尿音と臭いで

なかなか寝付けない様子を

「蚤虱、  馬の尿する 枕音」

という俳句を残しました。

 

その後、赤倉温泉近くにあります

山刀伐を越え尾花沢へと向かい、

奥の細道の旅最長の10日間宿泊し

旅の疲れを癒したと伝わっております。

 

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 冨山馬頭観音

 

最上町では平安時代の頃から

馬の産馬としてとても有名で

 

863年

当地が馬の産馬が適しており

それを生業にしている人が多いことから

慈覚大師円仁によって創建されたのが

こちらの富山馬頭観音で、

最上三十三観音31番札所になります。

 

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藩政時代には

特産の小国駒は近隣諸国にも名高く

新庄の他、他国にも出荷され

 

明治時代を迎えますと

軍馬の育成所として

多くの名馬が戦地に送られ

数多く命を落とした事から、

 

境内には愛馬を弔う碑が建てられて

供養が施されるという

悲しい歴史が残されておりました。

 

写真の富沢のトチノキ

富山観音境内に生えており

その昔は樹液を採取し

馬の眼病の薬として扱われ

現在は山形県指定天然記念物として

指定されております。

 

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東法田のアカマツ

 

現在、最上町では特産品の

グリーンアスパラガスの栽培他に、

巨木ツーリズムが行われており、

 

写真の東法田のアカマツ他に

 

富沢観音のトチの木

権現山のカツラ

瀬見の大銀杏

雷神様の杉

地蔵様の大松

愛宕山 のキタゴヨウ

藤井家のサイカチの木

山刀伐峠の子持ち杉等、

 

多くの巨木が生えており

大自然の豊かさを伝えております。

 

古い歴史と豊かな自然に囲まれ、

豊富な温泉にも恵まれた最上町に

ぜひ観光に訪れてみてください(´▽`)

 

以上、

最上町の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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