KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

山形市 山寺立石寺の歴史を巡る卍

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どーもKABUOです

 

前仲見世通りから進み

今回は山寺の歴史や観光スポットを

ご紹介できればと思います

 

山寺立石寺の歴史を巡る

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名勝史跡山寺と書かれた石柱が立ち

山寺本堂の入り口になります

 

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山寺立石寺本堂

 

山寺の正式名は宝珠山阿所川院立石寺

(あそかわいんりっしゃくじ)

西暦860年に清和天皇の勅命で

慈覚大師が開山した天台宗のお寺です

 

立石寺の文書では

開山を慈覚大師で開祖を安慧(あんね)と

する記述もあるそうです

 

古来より悪縁を断ち切るとされる

悪縁切りの寺としてしられております

 

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立石寺は山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていた。最上義守の母・春還芳公尼(しゅんげんほうこうに)は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫(最上義守の子)にあたる最上義光(よしあき)も立石寺を援助した。義光の時代の分限帳によれば、立石寺には寺領1,300石が与えられている。

Wikipedia引用

 

山寺と最上家の関係はとても深く

鎌倉時代に時の政策により

禅宗へと改宗されますが

斯波兼頼が山形に入部した祭、

天台宗へと戻り再建されたとされます

 

1520年に

天童頼長が伊達氏と戦いますが

立石寺が伊達氏に加勢したため

焼き討ちを受け一山焼失します

 

その後、最上義守と義光親子により

寺院の再建に勤めあげたされております

 

寺院内を散策します

 

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清和天皇御宝塔

 

こちらは天皇の遺徳を慕い

国家の安泰を祈って権立された

清和天皇の供養塔です

 

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水子地蔵でしょうか?

大小のお地蔵が並んでおりました

 

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山寺の大イチョウ

 

山寺山内の日枝神社境内にある

ご神木の大イチョウの木です

 

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日枝神社

 

5月17日に山寺山王祭が行われます

KABUOはまだ見たことがないので

祭りに参加した際はブログで

記載できればと思います

 

 

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 こけし塚

 

こけしに関係ある方々や

こけしを持っていた故人とその家族を

供養するこけし塚です

 

人形供養と同じで

こけしを供養しているのでしょう

 

 

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松尾芭蕉の銅像

 

1689年山寺に訪れた松尾芭蕉

当初は立ち寄る予定では

無かったそうですが 

人々の進めにより足を運んだそうです

 

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松尾芭蕉が立ち寄る予定では

なかった事から

当時は山寺事態がそれほど

有名では無いことが想像できます

 

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念仏堂

 

こちらは山寺の行者さんの

修業の場として使われ 

 一般の方は写経ができる場です

 

ここから山門へ行き

山寺の階段を登ります

 

続く

tohokuhistory.yamagatakabuo.online

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