KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

たまに行くなら御約屋門が残る渋い町並み~横手市浅舞地区ををブラリ旅!🏍️

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どーもKABUOです。

 

秋田県横手市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は横手市浅舞地区を中心に

町並みをブラリ旅を行いましたので

中世の城郭浅舞城や

江戸時代政務が行われた御約屋門等、

地区の歴史や史跡をご紹介します。

 

 

 

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横手市浅舞地区をブラリ旅。

 

 

浅舞八幡神社

 

横手市中心街から

西南に位置する浅舞地区。

北西に横手市中心街、南に十文字地区、

東に雄物川地区、北に大雄地区と

昔から街道の要所として重要視され、

横手市と合併する前は

平鹿町の中心地でした

 

浅舞は朝前とも書き

浅廻(あさまわり)とも称され、

近世に久保田藩主佐竹義隆が

当地での鷹狩りの折りに

鶴が舞い飛ぶのを見て命名したと伝えられ

地名の由来の一説となっています。

 

こちらの浅舞八幡神社

浅舞地区が開拓された740年に創建され、

歴代統治者から厚く崇敬された

とても古い歴史も持ちます。

 

 

 

こちらが町並みの様子。

古い酒造所や和菓子店もあり、

昭和ノスタルジックを感じる

何処と無く懐かしい風景・・・。

 

 

浅舞城跡

 


龍泉寺

 

中世戦国時代に雄勝平鹿郡

勢力を広げた小野寺氏は

慶長~文禄年間、小野寺義道の子

小野寺光道(友光)に浅舞城の築城を命じ

菩提寺の竜泉寺を開基する等

小規模ながら城下町が形成されました。

 

しかし豊臣秀吉太閤検地が行われると、

小野寺領内で検地反対一揆が発生し、

浅舞では特に激しく行われた事から

城主友光はその責任を取り

自害したと伝えられており、

浅舞地区は太閤蔵入地に設定されました

その後、関ヶ原の合戦により茨城県常陸から

佐竹義宣の入部すると久保田藩を立藩。

家臣茂木監物治良を浅舞城に派遣、

1622年一国一城令により

廃城となりました。

 

こちらの竜泉寺には

小野寺友光のお墓が残されており、

横手市指定文化財に登録されています。

 

 

 

地区を歩くと浅舞城のお堀跡と思われる

水路が町全体を囲むように整備されており

古い町並みと共に城郭としても

歴史や史跡を楽しむ事が出来ました。

 

 

 

浅舞の御役屋門

 

 

 藩公の鷹

 

江戸時代には羽州街道脇街道

大曲から湯沢へと抜ける

沼舘街道沿いの町として栄え

浅舞地区には脇街道

宿場町が整備されると、

1の日・4の日・6の日に

定期市も開催され、

1795年には郡奉行所が設置される等、

平鹿西部の行政をつかさどり、

現在の町並みが形成される事となりました。

 

また歴代藩主が鷹狩りに来遊が行われ

領内でも著名な狩猟地とも知られ、

2代目藩主佐竹義隆の鷹を弔った

鷹塚が残されています。

 

こちらの浅舞の御役屋門は

奉行所が設置されたおりに

建造された御役屋門跡とされており

横手市指定文化財に登録されています。

 

 

 

昭和46年まで横手市中心街まで結ぶ

横荘線が整備され路線駅もあったそうですが

自動車の普及と過疎化によって廃線となり、

町の活性化が失われ

都市化に遅れたそうですが

その為現在でも

昭和の古い町並みが残りました

 

 

浅舞の大ケヤキ

 

 

琵琶沼

 

天然記念物に指定されている

浅舞の大ケヤキ

イバラトミヨが生息する琵琶沼と

昔ながらの風景も残されており、

浅舞地区は渋い町並みとなっています。

横手市に観光にお越しの際は

ぜひブラリ散策を行ってみてください

 

横手市ブラリ旅シリーズ

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