KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

湯沢市 院内銀山の歴史と史跡をご紹介!⛰️

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どーもKABUOです。

 

秋田県湯沢市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は国内有数の銀の埋蔵量を誇った

院内銀山の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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院内銀山の歴史と史跡をご紹介!⛰️

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院内銀山跡

 

湯沢市院内銀山町にあります院内銀山跡、

現在銀山は閉鎖され史跡が残されています。

その歴史ですが江戸時代の1606年、

村山宗兵衛ら4人によって発見され、

翌年から秋田藩直営の銀山として経営、

秋田藩の重要な財源となりました。

 

院内銀山までのアクセス方法ですが

湯沢市院内から由利本荘鳥海を結ぶ

国道108号線沿いを進むと

案内板が設置されていますので

こちらに到着する事が出来ます。

 

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旧銀山町の写真

 

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院内銀山絵図

 

江戸時代中期に銀の枯渇により

一時衰退するも、

1800年代に

新しい鉱脈が再び発見されると

労働者が全国から集まり銀山町が形成。

最盛期には人口が

1万人を超えたと伝えられ、

人とともに諸国の文化が流入すると

出羽の都と称されるほどの繁栄を見せ、

石見銀山生野銀山と並び

日本3大銀山の1つに数えられました。

 

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十分一御番所

 

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異人館

 

こちらの十分一御番所跡は

院内銀山唯一の出入り口だった場所で

銀山に持ち込まれた物品に一割の税を課し

徴収を行う目的に設置され、

銀山の総括警備を担当する

役人の詰所でもありました。

 

異人館跡は明治時代に近代化を図った際

ドイツ人技師パンサー・ロージングの

両名を招き、その指導を受けました。

この地はその外国人技術者の居宅として、

住まわせた場所です。

 

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院内銀山三番共葬墓地

 

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門屋家墓地

 

院内銀山は開山以来、

大変なにぎわいを極め

入山の有縁無縁の者達が

ここ銀山で生涯を終え、

数知れない人々が

数ヶ所の寺に葬られております。

しかしそれ以外の多くは

この共葬墓地に葬られ

閉山までその数おおよさ

3千余柱と推定され。

この地で亡くなった方を弔う

共同墓地が健在でも残されています。

 

こちらの門屋家墓地は

4代にわたって院内銀山で医師を務め、

院内銀山のみならず近村にまで

医療活動を行った人物で、

門屋家が残した日記は

「門屋養安日記」として知られており、

院内銀山史、秋田藩政史にみならず

日本鉱山社会資料として価値が注目され

市指定有形文化財に登録されています。

 

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金山神社

 

こちらの神社は1607年に

銀山の総鎮守として創建、

江戸時代には山神宮と称され、

金山神社という名称は

明治以降につけられました。

 

藩主の尊崇も厚く、

藩主直筆の絵画や金燈籠などが

寄進されているほか、

境内みは山師や金名子が奉納した

扁額・狛犬・石燈籠が多数あり

往時の隆盛をしのばせています。

院内銀山の文化を伝える貴重な遺構として

秋田県指定史跡に指定されています。

 

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御幸坑

 

明治時代に入りますと海外から

最新鋭の資材が導入され近代化が図れ

銀の採掘量も比較的に上がり

1881年には

明治天皇行幸にも訪れます。

しかし明治末期の銀の国際価格の暴落や

煙害や公害になどにより

経営が著しく悪化を辿り、

1920年、採掘停止に至った。

その後、探鉱所を設置し

再興を図りましたが

1954年、休山となり

350年の歴史に幕を下ろしました。

 

こちらの御幸坑はかつて五番坑と呼ばれ、

坑道数ある中で、

唯一の坑夫の出入り口であり

江戸時代には坑口広場に労務管理

番役所が置かれていた。

明治天皇が東北御巡幸中

院内銀山に立ち寄られ、

五番坑及び諸工場を巡覧された。

国の鉱山記念日はこの日をもって定められ、

後日当時の工部大輔吉井友実によって

御幸坑と命名されました。

 

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院内銀山異人館(院内駅)

 

現在院内駅に隣接する院内銀山異人館には

当時の歴史資料が展示されており

詳しく院内銀山の歴史を学ぶ事が出来ます。

秋田県湯沢市にお越しの際は

院内銀山跡に足を運んでみてください

 

 

こちらが院内銀山の場所です。

 

湯沢市雄勝郡観光スポット

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