KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

湯沢市 稲庭城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

秋田県湯沢市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は中世この地を統治した

小野寺氏の居城稲庭城の

歴史や史跡をご紹介します。

 

 

 

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稲庭城の歴史や史跡をご紹介!🏯

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稲庭城

 

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稲庭城復元想像図

 

湯沢市稲庭町古舘前平にあります稲庭城。

古代から蝦夷討伐や前九年・後三年の役

軍道としても使用された小安街道沿いの

要所を抑える場所に位置しており、

西には皆瀬川が流れ、

標高352mの館山山頂に築城された

別名鶴が城とも呼ばれている中世の山城です。

 

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広沢寺

 

その歴史ですが鎌倉時代

源頼朝奥州藤原氏を征討のした際、

戦功をあげた小野寺道綱が恩賞として

秋田県雄勝郡の地頭に命じられると、

四男重道を雄勝郡に入部させ

1193年頃に築城に至った説と、

重道から3代後の経道のとき

初めて稲庭に入部し築城したともされ

諸説あるそうです。

 

こちらの広沢寺は807年に

月窓和尚が川原毛に建立した

霊通山前湯寺が由来だとされ、

しかし立地の悪さから訪れる物も少なく

寺は荒廃の一途を辿りましたが

1393年、栴壇上人によって

前湯寺はさらに麓の三途川に移建されました。

その後、前湯寺は稲庭城主小野寺道広によって

稲庭に移され嶺通山広沢寺と号し、

小野寺氏の菩提寺として

厚く帰依を受けました。

 

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その後小野寺氏は

秦道・輝道・景道の時代に最盛期を迎え

稲庭城・沼舘城・横手城と居城を移すと

各地に一族や有力家臣を入部させ、

その領土は雄勝郡平鹿郡秋田県南と

仙北郡・由利郡・山形県北部までおよぶ

一代勢力を誇る戦国大名へと成長します。

 

稲庭城の二の丸まではスロープカーが整備され

本丸まで気軽に散策する事も可能ですが、

古い古道も残されており

こちらからの散策も可能です。

 

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散策路はこんな感じです。

途中で切岸跡・腰郭跡・曲輪跡の

史跡が残されていますが、

一部舗装されていない場所があり

しっかりとした靴で登る事をおすすめします。

 

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稲庭城二の丸跡

 

古道を登った先に稲庭城二の丸に到着。

スロープカーの到着駅が設けられ、

頂上からは稲庭町を望む事が出来ます。

 

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稲庭城本丸跡

 

しかし近隣諸国との戦いにより

次第に国力が衰退すると、

1591年、太閤検地が行われた際、

領土で検地に反対する大規模な一揆が勃発、

この事が問題視され石高を大幅に減らされ

1600年、関ヶ原の合戦の際、

当初東軍徳川家康に与しましたが

戦況から突如西軍上杉景勝に寝返りを図り

景勝と交戦する

山形城主最上義光を攻撃します。

 

先程の二の丸から少し歩くと

本丸へと続く階段があり

本丸跡には小野寺氏の守護神、

稲荷神社の祠が残されています。

 

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夫婦マツ

 

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稲庭城古城碑

 

しかし結果戦いは徳川家康の勝利によって

上杉方は最上領土から撤退すると、

最上勢による小野寺領へと侵攻によって

稲庭城は防戦にたたされ奮戦するも、

水の便が悪く水不足に陥りついには落城、

戦後小野寺氏はすべての領地を没収され

島根石見国津和野に流罪となりました

また1595年、一揆鎮圧を口実に

義光方に攻め込まれ落城し廃城した説もあり

諸説あるそうです。

 

こちらの夫婦マツは稲庭城落城間際、

14代城主小野寺道勝の奥方が

城への名残を惜しんで植えたものとされ

その近くには明治34年に造立された

稲庭城古城碑があります。

 

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今昔館

 

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スロープカー乗り場

 

現在二の丸跡には模擬天守が造立され

稲庭城や小野寺氏の歴史資料や

また特産品の川連漆器が展示されています。

今昔館はスロープカーに乗車のみ

入館が可能ですので史跡散策を行う際は

今昔館・本丸・そして古道の道沿いの順に

下って散策する事をおすすめします。

湯沢市にお越しの際は

稲庭城にぜひ観光に訪れてみてください。

 

 

稲庭城の場所はこちらです。

 

湯沢市雄勝郡の城跡

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