KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

酒田市 城輪柵の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県庄内地方の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は古代出羽国の中心地で

国府であったと推測される城輪柵の

歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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城輪柵の歴史と史跡をご紹介!🏯

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城輪柵跡

 

山形県酒田市城輪にあります城輪柵跡、

その存在は文献によると江戸時代の頃から

その存在は確認されており、

1931年、田園の水路に柵木や角材列が発見され

発掘調査が行われた結果、

平安時代出羽国府跡だと推定されており

柵跡は総面積は52万㎡と広大な遺跡で

国指定史跡に登録されています。

 

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国府とは日本の奈良時代から平安時代にかけ、

朝廷の命を受け地方行政を行った

現在の県庁のような機関でありました。

出羽国府の設置に関して

詳しい年代は分かっておりませんが、

712年、出羽国が新立された際、

出羽国府も設立されたと思われます。

 

京都朝廷遠く離れた東方地方は蝦夷と呼ばれ

朝廷は東北まで領土を広げていた頃で、

蝦夷開発の前線基地として出羽柵が設けられ、

出羽国府はおそらくこの出羽柵のうちに

置かれたと考えられています。

 

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古い伝承によると546年に鳥海山山頂に

欽明天皇の命により大物忌神社が

創建されたと伝えられている事から

6世紀の頃より大和政権は

庄内地方飽海郡秋田県由利郡まで

領土を広げていた事が考えられ、

城柵を設けて統治を行っていたと思われます。

 

出羽国府の所在地として

有力視されている城輪柵ですが、

他にも三川町助川・鶴岡市大山

鶴岡市旧藤島町平形説も考えられており、

不明な点が多く今後の研究が待たれています。

 

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遺跡の中央にある政庁の遺構としては、

正殿・後殿・東西両脇殿

後殿付属東西両建物があり、

この周囲を一辺115mの築地塀等が巡り

各辺の中央には門が開き、

南門前面には付属東西両建物や

広場・南大路・井戸等が確認されています。

 

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城輪神社

 

城輪柵跡から少し北にあります城輪神社、

祭神は五穀・ 食物を司る倉稲魂命

創建時期は不明ですが城輪柵が設けられた

和銅年間(708-715)に

創建されたと考えられており、

古来出羽一宮大物忌神社につぐ

出羽国二宮とたたえられ

城輪柵の鎮守社であったと考えられています。

 

境内には1879年この地域で疫病が流行した際、

浜田徳兵衛・池田助左衛門7名が

病気平癒のために獅子舞を奉納。

これが現在まで舞い続けられる

城輪神社お頭様の始まりとされ

それを記念した石碑が建設されています。

 

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堂の前遺跡

 

城輪柵と関連する史跡だと考えられている

酒田市法連寺字堂の前にあります

こちらの堂の前遺跡。

 

城輪柵と同じく平安時代頃の遺跡で

四周南辺の中央に門があり、

その北側からは堀立柱建物跡や

礎石建物跡・井戸・矢板列・溝

土坑などが発見されました。

その遺構から平安時代

出羽国分寺跡と推定する説もあり

国指定史跡に登録されています。

 

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八森遺跡

 

こちらの八森遺跡は

887年、朝廷の指示により

城輪柵にあった出羽国府を移転した

国府跡だと言われている遺跡です。

850年、日本三代実録という記録書によると、

出羽国で大地震があり津波が城輪柵の近く

6里まで迫ったとの記録が残されており、

また近くの荒瀬川の氾濫の危機にもさらされ

水害に強い高台に国府を移転したと考えれ、

その後どのように出羽国府が

歴史から消失したかは不明となっています。

 

現在史跡城輪柵跡は

1989年「史跡等活用特別事業」の採択を受け

1992年、政庁建物群の南門・東門、

築地塀の一部と目隠塀などが復元され、

駐車場も完備され気軽に散策が可能です。

 

また時間がありましたら

城輪神社・堂の前遺跡・八森遺跡と

城輪柵に関連する史跡を巡り

古代庄内地方出羽国府の

歴史を深く学んで頂ければと思います。

山形県庄内地方にお越しの際は、

城輪柵や関連する史跡等

ぜひ観光に訪れてみてください。

 

 

城輪柵と周辺史跡の場所はこちらです。

 

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