KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

遊佐町 蕨岡大物忌神社の歴史と史跡をご紹介!⛩️

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どーもKABUOです。

 

山形県庄内地方の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は山形県遊佐町にあります

鳥海修験道の修験場として繁栄を極めた

蕨岡大物忌神社の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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蕨岡大物忌神社の歴史と史跡をご紹介!⛩️

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蕨岡口ノ宮随神門

 

山形県遊佐町蕨岡にあります蕨岡大物忌神社。

蕨岡という珍しい地名の由来ですが、

ワラビの多く生える丘という意味や

野原の下や端をあらわす原尾(はらび)が

訛って蕨岡になったという説があります。

そんな蕨岡地区は鳥海山へと登頂する

信仰登山の中心地でありました。

 

大物忌神社二ノ鳥居にあります

有形文化財にも指定される随神門、

庄内藩8代藩主酒井忠器が寄進した

出羽国一ノ宮の扁額が飾られており

以前は仁王門と呼ばれ

仁王像が安置されていました

 

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楽殿

 

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宝篋印塔

 

鳥海山大物忌神社が

創設された時期は諸説ありますが

西暦564年に鳥海山頂上に

社殿が建立されたと記録に残されており

古代大和政権の時代、

蝦夷を征服し東北へと勢力を広げる

大和政権の最北端の領地が

鳥海山であったと考えられています。

 

鳥海山は現在でも活火山に認定され、

古代から何度も噴火を繰り返しており

自然への畏怖や蝦夷反乱の凶兆と捉え

国家鎮守と蝦夷の怒りを静める目的として

大物忌神社を建立したと考えられています。

 

有形文化財にも指定されている神楽殿は、

毎年5月3日の例大祭大御幣祭で

伝統芸能蕨岡延年が奉納されます。

宝篋印塔は酒田の豪商本間光丘が

死後の極楽を願い生前に寄進した物とされ

遊佐町指定有形文化財に登録されています。

 

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大物忌神社本殿

 

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三ノ鳥居

 

その後蕨岡の口承によると修験道の開祖

役小角によって鳥海修験が確立、

役小角がはじめて山に登ったとき、

「鳥の海」をみたことから

鳥海山」と名付けられ

創立年代は不明ですが平安期頃から

口ノ宮と呼ばれる里宮が遊佐町吹浦

蕨岡に社殿が建立されました。

 

参道を通り三ノ鳥居の先に本殿があります。

以前は東の山手に本殿があったそうですが

1953年に参拝の利便性向上のために、

現在地に移築されました

本殿は1896年に造営されたもので

高さ3.7m・幅55cm・厚さ8.5cmもの

巨大な棟札が残されており

登録有形文化財に登録されています。

 

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荘照居成神社

 

本殿から右側にあります荘照居成神社。

1840年、川越藩主松平斉典は

石高が高く経済的に余裕のある

庄内藩に目を付け新潟長岡藩・埼玉川越藩

三方領知替えの画策が行われました。

 

しかし地元領民の反対運動が起こされ

江戸幕府は老中江戸町奉行

矢部定謙に検証を行わせると

三方領知替えの凍結を決定しました。

庄内藩領地替え阻止に貢献した

矢部定謙の功績を評して

荘照居成神社に祀ったのが始まりだとされ

遊佐町有形文化財に登録されています。

 

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大泉坊長屋門

 

仏教の伝来ともに神仏習合へと形を変え

鳥海修験道の道場として

秋田県由利本荘矢島とともに

信仰登山の中心地であった。

別当学頭職として龍頭寺があり、

薬師如来大物忌神本地仏として崇め、

最盛期には33坊の宿坊が設けられる程、

鳥海修験の一大勢力を誇り、

当山派・本山派の修行が行われました。

 

こちらの大泉坊長屋門

1835年に創建された物で

格式により建て方が定められていましたが

大泉坊長屋門は1万石以上の

格式に並ぶ構えみせ大泉坊がいかに

繁栄していたかを物語っております。

また蕨岡地区を歩くと宿坊の面影が残され

大物忌神社の参拝だけでは勿体ないので

地区の散策をおすすめします。

 

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龍頭寺

 

大物忌神社から南に徒歩1分で到着出来る

鳥海修験で最大勢力を誇った龍頭寺。

しかし信仰形態の違いや境界の争いにより

遊佐吹浦・由利本荘矢島との対立が生じ

吹浦とは出羽国一ノ宮の座を巡り、

また矢島とは鳥海山頂上の境界を巡り

庄内藩・矢島藩を巻き込む

藩争へと発展した歴史あったそうです。

 

そんな蕨岡口ノ宮ですが明治政府発足後、

神道国教化政策によって廃仏毀釈令により

修験道が徹底的に弾圧され鳥海修験は衰退、

神式に改称し大物忌神社と称する事となり、

本地仏薬師如来や随神門にあった

仁王門は全て撤去されると

龍頭寺に全て移される事となりました。

 

現在蕨岡大物忌神社には

社務所が設けられていますが

神主が常在してはおらず

御朱印を頂く際は吹浦口ノ宮でしか頂けず、

また吹浦口ノ宮の方が交通の利便性が良く

蕨岡まで足を運ぶ方は少ないそうです。

しかし観光客があまりいない事から

ゆっくり静かに観光を楽しむ事ができ、

鳥海修験繁栄の歴史をしっかりと学べますので

歴史や修験に興味ある方は

ぜひ参拝に訪れてみてください

以上蕨岡大物忌神社のご紹介でした。

 

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こちらが神社の場所です。

 

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