KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

鶴岡市の歴史と史跡をご紹介!(櫛引エリア近世江戸時代編)🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県庄内地方の歴史と史跡を

巡る旅に行ってきました。

 

前回の記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

今回は鶴岡市櫛引エリアの

近世江戸時代を中心に

最上家改易の原因を作った松根氏の松根城、

義光嫡男義康暗殺に深く関与したとされる

上ノ山城主里見越後守主従の墓地等

ご紹介出来ればと思います。

 

 

 

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鶴岡市の歴史と史跡をご紹介!(櫛引エリア近世江戸時代編)🏯

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上ノ山城主里見越後守

主従の墓地

 

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首なし地蔵堂と修理塚

 

近世の時代、関ケ原の合戦の後

最上氏の庄内領有が確定し

最上義光山形藩を立藩。

赤川水系の治水をはじめとする

庄内の開発が飛躍的に進められます。

 

1603年、武勇誉れ高く

次期当主として期待されていた

義光嫡男最上義康がこの地で

暗殺されるという事件が起きます。

その背景には家督相続を巡り

最上親子を取り巻く家臣団が争いを始め

義光、義康親子にも対立が生じます。

この事を江戸の徳川家康に相談したところ

家康の近侍として長年使えた次男家親を

当主に抜擢するように命じられた義光は

義康に対して高野山への退去を命じます。

庄内から海をへて高野山へ向かう道中、

何者かに銃弾を浴びせられ

義康は暗殺される事となりました。

 

暗殺の首謀者は父義光とも

上山城主里見民部とも言われており、

義康の小姓として従えた民部の息子、

権兵衛に切腹が命じられます。

権兵衛の祖父里見越後守は

義光の処置に憤り民部と権兵衛

それに家臣を連れた上山城を出奔した。

義光に追われ浪々の末、

尾浦城主下治右衛門に預けられ、

その後丸岡に移された。

1614年、義光の遺言によって

里見越後守・民部父子主従23名は

この地で切腹させられ果てました。

 

櫛引エリアにあります

上ノ山城主里見越後守主従の墓地と

首なし地蔵堂と修理塚は

この地で亡くなった里見民部親子と

最上義康が亡くなった場所に建てられたもので

山形県指定史跡・鶴岡市指定史跡に

登録されています。

 

最上義康の歴史と史跡を

まとめた記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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松根城

 

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最上院

 

最上氏重臣松根光広は義光の甥にあたり、

生母は松根の人で光広も同地で成長したので

長じて松根氏を名乗ったものである。

松根氏は村山郡白岩に所領を有したほか、

1615年には松根城を築きこの地を知行、

湯殿山をはさんで南北の地

1万2000石を領有します。

 

しかし1622年、山形藩2代目藩主

最上家親が若くして急死すると

家親の死には義光の弟で重臣である

楯岡光直であると幕府に訴えますが

証拠不十分との決定を下すと、

山形藩のお家騒動を重く見た幕府は

改易を命じ光広は筑後柳川藩に預けられ

この地を去り松根城は廃城となりました。

 

現在最上院がある場所が

松根城があったとされる城跡で

石碑のほか説明板が設置されています。

 

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天澤寺

 

1622年、最上家が改易後

庄内地方酒井忠勝が入部し庄内藩を立藩。

以後幕末まで庄内藩によって統治されました。

1632年、熊本藩主加藤忠広が改易となり 

忠勝に身柄を預けられると1代限りにかぎり

丸岡の領地を与えられ丸岡藩を立藩。

丸岡城跡地に屋敷を設け

以後20年に及び統治を行いました。

 

丸岡城跡史跡公園に隣接しています

天澤寺には加藤忠広の父加藤清正の遺

骨を収めた五輪の塔が建てられており

丸岡城跡史跡公園と共に

山形県指定史跡に登録されています。

 

丸岡城の歴史と史跡を

紹介した記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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黒川能の里王祇会館

 

現在鶴岡市櫛引エリアでは

県下有数の果樹多品種栽培を誇る

自然豊かなフルーツタウンで知られており、

また500年以上の歴史を持つ

重要無形民俗文化財に指定されている

黒川能を楽しむ事が出来ます。

庄内地方に観光のお越しの際は

ぜひ鶴岡市櫛引エリアに遊びに来てください

以上歴史と史跡のご紹介でした。

 

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