KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

大江町 小漆川城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県西村山郡大江町にあります城跡、

小漆川城の史跡調査を行いましたので

お城の歴史と史跡の様子をご紹介します。

 

 

 

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小漆川城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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小漆川城縄張り図

 

大江町左沢にあります小漆川城跡。

その歴史ですが1622年、

最上家の改易によって庄内地方

酒井忠勝が入部し庄内藩を立藩。

忠勝の弟酒井直次が左沢の領地

12000石与えられ左沢藩を立藩

入部当初中世の城郭左沢楯山城に

居城しましたが利便性が悪く城を廃し。

新しく築城したのが小漆川城です。

 

大江町中央通り商店街から

県道9号線に沿って西へ進むと

小漆川城跡がありました集落に到着。

こちらの案内板が設置されていました。

 

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城郭東側の様子

 

集落へと向かう途中

小漆川を渡る道が整備されていますが

当時お城があった頃は

集落へと直進出来る道は整備されておらず、

城下町から急な坂道を小漆川まで下り

橋を渡らなければなりませんでしたが

1901年、道が整備され

現在のように容易に集落へと向かうことが

出来るようになったそうです。

 

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城郭南側と月布川

 

月布川左岸の標高126mの台地上に

築城された連郭式の平台城

南は漆川(月布川)、北から東にかけて

小漆川が流れ自然の要害を形成する

台地全体を占地している。

中央に本丸その西南に二の丸があり

本丸は東西約110m・南北72m

二の丸は東西約72m・南北63mの

規模を誇り周囲を濠が囲まれています。

外側に三の丸が置かれ西方の台地に続く所に

百間濠と水濠が設けられ

東西376m・南北270mもありました。

 

城の南側は三の丸があった場所だとされ

月布川が流れ低地となっており

南側からは攻めにくい構造となっています。

これは関ヶ原の合戦後米沢に移封された

徳川方の敵将であった上杉氏を意識し

長井から朝日町通り進軍する事を想定して

築城に至ったと考えられます。

 

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白山神社 

 

城の南側にあります白山神社

創建の歴史は不明ですが、

小高い丘に位置しており、

これは私の勝手な想像ですが

いざ上杉軍が進軍した際は

出丸として使用されたのではないかと

想像力が掻き立てられます。

 

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二の丸堀跡

 

二の丸そして本丸跡は住宅街となっており

遺構は多くは消失されていると

前情報では聞いておりましたが

二の丸から三の丸へと南へと向かう

道路沿いに写真のような低地帯が広がり

濠跡のような遺構が確認出来ました。

 

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武家屋敷跡

 

本丸北側には道路を設け武家屋敷を整備、

またお城の北東には鬼門守護と領内鎮護を

目的とした神明神社が祀られました。

また城下町の整備にも力を入れ

左沢楯山城麓にあります元屋敷付近に住む

移住させて町造りが行われると

内町・横町・御免町・原町が整備されます。

また神社仏閣の配置も行い

左沢楯山城に鎮座されていた八幡神社

参詣しやすいよう城下北端の前田に鎮座、

強海院・実相院・称念寺が各所に配し

大江町左沢の町並みの基礎を築きました。

 

縄張り図に記載されています

現在の武家屋敷の様子。

武家屋敷の面影がありませんが

小漆川城の石碑が設置されています。

 

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本丸堀跡

 

現在県道9号線が走る道路は

入り口に小漆川城の案内板が設置されており

北側の武家屋敷と南側の本丸跡の位置から

少し下がるように低地となっており

お城の縄張り図から恐らく

濠跡であったと思われます。

 

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神明神社

 

しかし1631年、

直次は跡継ぎがいないまま亡くなった為、

1代限りで左沢藩は取り潰され

左沢の領地は幕府により収公されますが

1632年、熊本藩加藤忠広の改易に伴い、

忠宏の身柄を藩主忠勝が預かる事となると

一時左沢に領土が与えられる事となりましたが、

庄内の地から左沢は遠く

監視の目が届かない事から

庄内丸岡に領土が与えられる事となります。

その際、庄内丸岡の領土と引き換えに

再び左沢は庄内藩領土へと組み込まれました。

 

こちらはお城の北東に建立され

お城の鬼門を守る神明神社です

 

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巨海院

(酒井直次夫妻墓所)

 

1648年忠勝の三男忠恒が庄内藩領より

分与され松山藩を立藩すると左沢は

松山藩の領土へと編入され統括されましたが

江戸時代中期に差し掛かり

争いのない平和な時代が続いた事から

小漆川城は廃城となり取り壊されます。

その後、左沢には代官所が設けられ

松山藩の元幕末まで統治されました。

 

小漆川城の遺構は住宅街の整備によって

多くは消失してしまいましたが

直次の菩提寺である巨海院山門は

小漆川城の城門を移築したものだとされ

境内には直次夫妻の墓が建てられており

大江町指定史跡・文化財に登録されています。

 

この山門だけでも

見る価値はあると思いますので

大江町に観光のお越しの際は

ぜひ立ち寄ってみてください

上小漆川城の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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大江町の歴史と史跡

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