KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

米沢市 米沢城の歴史と史跡をご紹介!(米沢藩編)🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県米沢市にありますお城跡、

米沢城に訪れました

 

前回の記事はこちらです 

www.yamagatakabuo.online

 

今回は江戸時代この地を統治しました

米沢藩上杉家の歴史を中心に

米沢城の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

  

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米沢城の歴史と史跡をご紹介!(米沢藩編)

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米沢城下絵図

 

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米沢城三の丸堀跡

 

関ケ原の戦いの敗戦にともない

会津120万石から米沢30万石へと

大減封となった上杉氏はその後米沢藩を立藩。

初代藩主上杉景勝は重臣直江兼続に命じ

米沢城下町の整備を行います。

伊達氏・蒲生氏時代には城下町には

7000人ほどの町民が住んでいたとされ、

上杉氏は会津時代の家臣を6000人を

そのまま召し抱えたまま入部したため

人口が30000人も増え

城下町の整備は急務でもありました。

また急激な石高の減少から財政が圧迫、

兼続は下級家臣を各地に配置し

新田開発・水利工事を行い

米沢の経済基盤を作り上げます。

 

1608年、上杉景勝は兼続に命じ

城の大規模な改修を行われると

東西に堀が掘られ本丸・二の丸を修築、

松川に大堤防を築いて流れを変えると、

広大になった平地に二の丸・三の丸を築き

侍屋敷や寺社、商工業地帯を設け、

館と堀・土塁で構成された

防衛機能を持った城下町を形成します。

また敵対した最上氏や伊達氏、

徳川家康の侵攻に備え

隠れて鉄砲の増産を行い、

そして1613年、輪郭式の縄張りを持つ

現在の米沢城が完成する事となりました

 

直江兼続菩提寺があります

林泉寺を紹介した記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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上杉謙信公之像

 

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上杉謙信公祠堂跡

 

こちらの上杉謙信公祠堂跡は

上杉謙信の遺骸を祀った

お堂があった場所で、

1578年、上杉謙信

新潟越後春日山城で逝去すると

その遺骸は甲冑を着せ瓷に納め

漆で密閉したと言われています。

その後、謙信の跡を継いだ

上杉景勝が米沢城への移封にともない

謙信の遺骸も移され

米沢城の南東隅のこの場所に

御堂を立て安置しました。

謙信遺骸の左右には

善光寺如来と泥足毘沙門像が置かれ

その後は歴代藩主の位牌も祀り

最も神聖な場所だったとされています

 

その後、明治時代に米沢城が廃却されると

遺骸は米沢藩主上杉家廟所に

移される事となりました。

 

上杉家廟所の歴史と史跡を

紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

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福徳稲荷神社

 

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春日神

 

1664年、米沢藩主3代綱勝が嗣子を

定めないまま急死すると、

一時お家取り潰しの危機に陥る事となりますが

義父保科正之が仲介にあたり

吉良義央の長男綱憲が末期養子として認められ

米沢藩は存続が認められましたが

福島県信夫郡置賜郡の一部の領地が没収、

石高が30万石から15万石から半減し

財政難に拍車がかかる事となります。

 

その後病弱な藩主の早世や

借財や遊興にふける藩主が続き

財政の逼迫から年貢の厳しい取り立てが横行、

民衆は疲弊するなど暗黒の時代が続きました。

 

こちらの福徳稲荷神社は

6代目藩主上杉宗憲が城内の鎮護として

二の丸に勧請した事から始まります。

春日神社は新潟越後の時代より

上杉家の崇敬を集めた神社で、

上杉氏の移封にともない米沢の地に移り

両神社とも多くの参拝者が訪れておりました。

 

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上杉鷹山

 

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松岬神社

 

そんな米沢藩を救ったのが

こちらの上杉鷹山です。

高鍋藩秋月家から上杉家に養子に入ると

1767年、家督を継ぐと

藩主自ら手本になるべく大倹約を実地、

また農地の開拓や治水工事、

師範学校の整備等次々と改革を実行します。

天明の大飢饉が東北を各地を襲いましたが

米沢藩では鷹山の指導の元、

蓄えていた備蓄米を領民に分け与え

被害を最小限に抑える事にも成功します

その功績から江戸時代歴代藩主の中でも

もっとも名君と呼ばれる人物です。

 

こちらの松岬神社には上杉鷹山の他に

上杉景勝直江兼続

米沢置賜地方の発展に寄与した

人物が祀られております。

 

上杉鷹山の歴史や史跡を

紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

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上杉記念館(上杉伯爵邸)

 

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 色部長門追念碑

 

米沢藩主12代上杉斉憲の時代

軍隊の洋式訓練方法を取り入れるなど

藩政の改革に努めこの功績が賞され

3万石の加増を受けるなど

上杉鷹山に次ぐ名君とまで呼ばれておりました

 

しかし時は幕末、

1868年、鳥羽伏見の戦いを皮切りに

新政府軍との戊辰戦争が勃発、

会津藩庄内藩が討伐の対象となり

新政府軍は東北各藩主へ出兵を促します。

米沢藩では会津藩保科正之の恩義から

会津藩庄内藩に恭順する意向を固めると

米沢藩仙台藩が盟主として旗振り役となり

奥州越列藩同盟が結ばれ

新政府軍と戦う事を選択をします。

 

米沢藩の兵士は新潟港を守るべく出兵すると

民衆は上杉謙信以来の旧主を快く迎え入れ

新政府軍と激しい攻防戦を展開しましたが

新潟港が新政府軍の手に落ち敗北、

この戦いにより米沢藩総督色部長門が戦死し

また長岡城の陥落が決定的となり

越後から退却を決め同年8月6日

新政府軍に降伏する事となりました。

戦後米沢藩は領地を14万石まで削減され

上杉斉憲は隠居し長男茂憲が家督を継ぎ

明治時代を向かえました

 

こちらの上杉記念館は別名鶴鳴館とも呼ばれ

茂憲の本宅として造営。

大正時代の大火後に中條精一郎によって再建、

現在では上杉記念公園として一般開放され

米沢置賜地方の郷土料理が頂けます。

茂憲は沖縄県令として

短いながらも沖縄県政の改革に努め

とても人望が厚い人物でありました。

 

上杉記念公園敷地内にあります

色部長門追念碑は

戊辰戦争後戦犯処理が行われた際、

その最高責任者として罪を被った事で

米沢藩では一人も処刑者を

出さずに済んだことから

米沢の恩人として

1963年に建てられました。

 

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上杉神社

 

戊辰戦争後の1873年、

明治政府の廃城令によって

城内のすべての建物が破却され

米沢城の歴史に幕を閉じます。

その後二の丸跡に

郡役所・町役場が設置されると

1874年、城跡は松が岬公園として

市民に一般開放される事となりました。

 

こちらの上杉神社

1873年、城内にありました

上杉謙信公祠堂を祭神とする

上杉神社と改称した事から始まり、

松が岬公園の整備化にともない

謙信公の遺骸は上杉家廟所に移され

現在の本丸跡に創建されます。

1919年の米沢大火により社殿が焼失、

1923年に米沢出身の建築家伊東忠太により

現在の社殿の他に稽照殿・絵馬殿・舞楽殿が

造営されました。

 

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伝国の杜

 

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上杉城史苑

 

現在米沢城は観光スポットとして

春は桜の名所、米沢上杉まつり

冬は上杉雪燈籠まつり等例大祭が行われ

隣接する伝国の社・上杉城史苑では

米沢の歴史が学べる他、

置賜地方の観光物産を頂く事が出来ます。

米沢市に観光に訪れましたら

ぜひ米沢城・上杉神社にお越しください。

 

以上、

米沢城の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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