KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

高畠町の歴史と史跡をご紹介!(原始〜古代編)🏞

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どーもKABUOです。

 

山形県東置賜郡高畠町

歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。

同町の歴史と史跡を

原始古代から古墳時代

中世、近世、近現代と

2部に分けてご紹介します。

 

今回は原始から古代を中心に

一の沢洞窟等の原始時代の洞穴や

古墳時代の清水前古墳や

亀岡文殊、安久津八幡宮等の

神社仏閣の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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高畠町の歴史と史跡をご紹介!(原始〜古代編)

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高畠町役場

 

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高畠駅

 

県東南部、米沢盆地の東縁に位置し

東西15,6km・南北20,7km程の高畠町

その歴史ですが1889年、

町村制施行により

高畑村・二井宿村・屋代村・亀岡村

和田村・糖野目村が発足、

その後、高畑村が高畑町となると

高畠町と改称します。

1954年、昭和の大合併によって

高畠町と先ほど紹介した村々が合併、

当初社郷町という町名でしたが

1955年に糖野目村を編入した際、

高畠町と改称し現在に至ります。

 

地名の由来ですが

高い地域の端(はた)という意味が

地名の由来となります。

 

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一の沢洞窟

 

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火箱岩洞窟

 

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日向洞窟

 

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大立洞窟

 

原始の時代。

高畠町は町のPRに

まほろばの里と紹介しています。

まほろば」とは、

古事記などにしばしばみられる

「まほら」という古語に由来する言葉で、

「丘、山に囲まれた稔り豊かな住みよいところ」

という意味を持っています。

(高畠町観光協会引用)

 

まほろばの言葉とおり、

自然豊かな山間に囲まれ

魚介・鳥獣類の狩場に

優れた場所であった為、

高畠町宮城県を結ぶ二井宿街道を通り

県内で初めて人々が定住し集落が

形成されたと考えれており

東部山麓には断層作用や風化侵食によって

形成された数多くの洞穴・岩陰が

至るところに点在しており、

洞穴からは人類の骨とみられる骨片や

哺乳類や猛禽類等の骨片が発見されています。

 

高畠町中心地から北部山麓にあります

一の沢洞窟・火箱岩洞窟・日向洞窟

大立洞窟からは数多くの土器・石器が

発見された貴重な史跡となっており

国指定史跡に登録されています。

 

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清水前古墳

 

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羽山古墳

 

古代の時代

高畠町南端に隣接する戸塚山の山頂には

6世紀頃築造された壮大な前方後円墳が営まれ 

足元には広大な米沢盆地を見下ろしている

大和朝廷の影響下にある地方首長の墓とみられ

その支配は戸塚山の北東一帯に広がる

同町の農村集落にも及んだと考えられ、

7世紀には奥羽山脈吾妻連峰の鞍部を通って

本県への朝廷勢力の本格的な進出が行われ、

この時地形的二井宿峠が米沢盆地への

幹線路となります

 

高畠町には古墳時代の史跡が数多く

写真の清水前古墳・羽山古墳の他に

北目古墳・源福寺古墳・加茂山洞窟古墳

味噌根古墳・安久津古墳・鳥居町古墳は

県指定史跡に、

鼠持古墳・金原古墳は

町指定史跡に登録されています。

 

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亀岡文殊

 

古代の置賜陸奥国に属し

日本書紀に優嗜曇(うきたみ)郡と

記されたのが初見とされており、

優嗜曇は浮き田を意味を持ち

置賜地方で最も早く開発され

水田集落があったと考えられており

7世紀の末頃には

蝦夷の同化も早くに行われました。

 

712年、陸奥国から

最上・置賜2郡が分離され

越後国の出羽郡と合わせ

3群とし出羽国が成立、

律令制下の時代、高畠町一帯は

置賜郡屋代郷と比定されており、

町域のほぼ中央に位置する中里は

古代屋代郷の中心集落であったと

考えられています。

 

こちらの亀岡文殊堂は

807年、徳一上人によって

創建されたと伝えられており

知恵を授けると言われる文殊菩薩が祀られ

合格祈願や学徳成就にために

受験を控えた多くの学生が参拝に訪れています。

 

亀岡文殊堂の歴史と史跡を

紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

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安久津八幡神社本殿

 

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舞楽殿

 

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三重塔
 

11世紀前半に屋代荘が成立。

同荘は奥州五荘の1つとして

摂関家相伝されておりましたが

1083年、奥州藤原氏陸奥出羽国を領し

約100年間この地を治める事となります。

 

こちらの安久津八幡神社

860年、慈覚大師によって

創建されたといわれており

源義家によって鶴岡八幡宮から

八幡神が感請されたという

社伝が残されておりますが

度重なる火災により記録が失われてしまい

詳細は不明となっております。

 

時の権力者の信仰は厚く

現在の本殿は1743年、

火災により焼失した社殿を

米沢藩主9代上杉重定の代、

1755年に再建され

本殿・舞楽殿・三重塔を含め

県指定文化財に登録されています。

 

また舞楽殿で

毎年秋に奉納される安久津延年は

地元では神楽舞として継承され、

比較的古式をとどめている舞として

町指定無形民族文化財として

指定されています

 

以上

高畠町の歴史と史跡

原始古代編のご紹介でした

次回は中世から近現代までを

中心にご紹介します。

 

続きの記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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