KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

長井市の歴史と史跡をご紹介!🛶

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どーもKABUOです。

 

山形県長井市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

旧石器時代の長者屋敷遺跡や

中世の伊達氏の支城小桜城に

最上川舟運で栄えた江戸時代の

歴史等をご紹介します。

 

 

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長井市の歴史と史跡をご紹介!

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長井市役所 

 

長井市の歴史ですが

1954年、西置賜郡長井町・長井村

西根村・平野村・伊佐沢村・豊田村

合併し長井市が誕生、

地名の由来ですが8~9世紀に

野川・白川が最上川に合流するあたりと

野川・白川の作った扇状地に集落が発達し、

そのあたり一帯を「長井」と

よんだことにはじまり、

長井の「井」は水の集まる所という

意味を持ちます

(長井市観光協会引用)

 

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長者屋敷遺跡

 

原始の時代

先土器時代の遺跡として

山東南の山麓にある

蔵京B遺跡が発見されており、

縄文遺跡は野川の扇状地

伊佐沢地区や葉山山麓一帯に点在。

元八幡・太田の両遺跡からは

古墳時代の集落跡が

今泉・加賀塚の両遺跡からは

須恵器窯跡が発見されています

 

こちらの長者屋敷遺跡は

1万数千年前の旧石器時代から

弥生までの1万年を超える

長期にわたって古代人の生活の跡が発掘、

現在では縄文村として当時の集落や

土偶のモニュメントが建造され

現在縄文村として開放されており

長井市の史跡文化財に登録されています。

 

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總宮神社
 

古代の時代

長井地方の開発は古く

置賜郡ははじめ陸奥国に属したが

712年、出羽国設置に伴い

編入される事となります。

 

こちらの總宮神社は

延暦年間(782年〜806)に

坂上田村麻呂によって蝦夷討伐のおり

日本武尊の御神徳を追尊して

白鳥の社をここに創建されたのが

始まりと伝承されており、

鎌倉時代以後、長井・伊達・蒲生・上杉と

歴代の領主の信仰厚く

下長井郷44ヵ村の神社をここに合祭し

下長井郷総鎮守の社として

總宮の社号を定めたもの伝えらます。

境内には上杉氏家臣

直江兼続が植えたとされる直江杉があり

長井市を代表する古社の一つになります。

 

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新田の塔(金鐘寺)

 

中世の時代

平安時代末期頃まで奥州藤原氏によって

統治されておりましたが

奥州藤原氏の滅亡後、

1189年、大江広元

地頭に任ぜられ置賜地方を領有、

広元の次男時広のときから

長井氏と称し置賜地方全域を

長井郡とする私称も行われます

長井氏は鎌倉幕府の要職にあった為、

現地の経営は配下の代官に委ねられましたが

1380年、福島県伊達郡を本拠地とする

伊達宗遠政宗親子による侵攻を受け

長井氏は失墜し以後、長井地方を含め

置賜郡全域は伊達氏によって統治されました。

 

金鐘寺境内にありますこちらの新田の塔は

伊達氏との戦いで小松に陣をはり

大激戦を展開した長井氏の武将

新田氏に関連する史跡で

この戦いのおり伊達氏は和睦を申し込だので

新田氏は兵を退き敵陣に向かう途中、

卑怯にも伊達氏の伏兵に襲われて

一族ことごとく捕らえられ殺害されました。

このこと以来伊達宗遠

自分の行為を後悔してこの塔を立て

その霊を祭ったと伝わっています。

 

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小桜城跡(宮村館跡)

 

戦国時代

戦国期には米沢を中心とする地域を

上長井荘、長井市中心を下長井荘と

称するようになり

引き続き伊達氏によって統治が行われましたが

1591年、伊達政宗陸奥岩出山

移封によって終わりを告げ

その後、蒲生氏・上杉氏と領主が変わり

江戸時代を迎える事となりました。

 

こちらの小桜城は

伝承によると1058年頃に

安倍貞任の姫、卯の花姫が

この地に館をつくり源義家戦ったので

別名卯の花の館とも呼ばれており

伊達氏の時代には家臣片倉氏がここを居城、

最上氏や鮎貝氏と戦い置賜制覇に尽力し

政宗の家臣片倉小十郎景綱の居城であったとの

説も残されているそうで

蒲生氏の時代に廃城され小桜城という名称は

後世の命名になります。

 

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旧丸大扇屋

 

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最上川

 

近世の時代

関ケ原の合戦後、上杉氏は

米沢に転封を命じられ米沢藩を立藩、

その後幕末まで上杉氏によって

統治される事となります。

 

下長井地域を北流し

山形盆地に入る最上川

白鷹町菖蒲地区の黒滝の岩床に堰止められ

舟を通す事が出来ませんでした。

1694年、京都の豪商

西村久左衛門が私費を投じ

開削工事が行われると、

高畠地区の米や米沢藩の城米や青苧などが

酒田回りで京都や江戸へ

送ることができるようになり

物資の輸送に大きな変革をもたらします

 

宮・小出地区には城米屋・青苧蔵

木ノ実蔵・制蠟場も設けられるようになり

船場が設置され河岸を往来する

最上舟運によって長井地区は大きく栄え

商人町として大きく飛躍するのでありました。

 

こちらの旧丸大扇屋は

江戸時代から昭和時代にかけ

約350年の歴史を持つ

最上川の舟運で栄えた商家のひとつで

昔の様子を残す貴重なものとして

県指定有形文化財に指定されています。

 

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小桜館(西置賜郡役所)

 

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旧長井小学校第一校舎

 

近代の時代、

1872年、明治維新

廃藩置県により米沢県・同年置賜県に属し

1877年、山形県編入されます。

明治になると西置賜郡役所が設置され

西置賜郡の中心都市として発展、

1914年、

赤湯駅から長井駅まで鉄道が開通、

長井市は工業産業が発展する事となりました。

 

こちらの西置賜郡役所・郡会議事堂は

1878年、山形県三島通庸

命により建てられ

現存する郡役所では山形県で1番、

全国で2番目に古いもので

長井市指定有形文化財に指定されています。

 

旧長井小学校第一校舎は

1933年に建築された

2階建ての木造校舎で、

大規模な木造校舎は全国的にも珍しく

大変貴重な歴史的建造物として

国の登録有形文化財に登録されています

 

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長井黒獅子祭り

 

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白つつじまつり

 

現在長井市では

日本一の生産量を誇るけん玉や

江戸時代から伝わる長井袖、

長井馬肉ラーメン等の特産物の他

長井獅子まつりに白つつじまつり等

魅力的な観光スポットが楽しめます。

置賜地方に観光のお越しの際は

ぜひ長井市に遊びに来てください

 

以上

長井市の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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こちらが史跡のアクセス場所です。

 

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