KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

天童市 成生荘と成生楯跡の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県天童市成生地区にあります楯跡、

成生楯の史跡巡りを行いましたので

その歴史をご紹介します。

 

 

 

 

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成生楯の歴史と史跡をご紹介!🏯 

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二階堂遺跡

 

成生楯の前に成生地区の

歴史について紹介します。

平安時代の頃より皇室が統治する

成生荘と呼ばれる荘園が成立し

天童市の中心的な場所でありました。

 

成生という地名は

物がなる育つという意味があり

地名を解釈すると豊かな田園に恵まれ、

大清水の地名もある事から

豊富な湧水にも支えられる

豊穣な土地であったと考えら、

鎌倉時代になりますと地頭が置かれ

政庁や地頭屋敷を設置し

この地を統治しました。

 

二階堂遺跡はその形状から

地頭二階堂氏の屋敷跡とみる説や、

(成生荘の地頭説は諸説あり)

天童市佛向寺の前身のお寺があったと

伝承に残されております。

 

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成生楯跡

 

そして時が経ち1356年、

南北朝動乱の最中、最上家の祖となる

北朝派の斯波兼頼が山形に入部すると、

南朝派の武将と戦いに明け暮れ

村山地方への勢力を伸ばしていきます。

 

当時、天童地区には

北畠天童丸という武将が

舞鶴山を居城とし活躍しておりましたが

同じ南朝派の寒河江大江氏が

斯波兼頼に敗れ劣勢に経たされると

青森県に逃亡を図りました。

 

斯波兼頼はその後、

天童地区の勢力を確保しようと

当時成生荘で勢力を誇っておりました里見氏に

弟の義宗を送り養子縁組を成立させ

天童地区を掌握していく事となります。

 

里見氏の出自や成生楯の築城ついては

不明な点が多いですが

鎌倉時代から地頭が入れ替わる中、

里見氏に成生荘園が割り当てられ

鎌倉幕府滅亡後はそのまま土着し

成生楯を形成したのではないかと思われます。

 

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龍頭神社

 

義宗の死後、

山形城主二代目最上直家は次男頼直を

里見氏の養子として送り出すと

防御が低く手狭な成生楯を出て

舞鶴山山頂に新しく天童城を築城、

天童頼直と名を改めその後200年に及ぶ

天童一帯の統治を行う事となりました

 

成生楯から天童城に移ってからは

重臣成生伯耆守が城主となり

成生楯を支城として活用されておりましたが

1577年、同じ一族であります

最上義光と激しく対立する事となると

天童城主天童頼貞と北村山に勢力をはる

国人連合軍、天童八楯と供に義光を撃退します。

 

しかしその後、義光は天童八楯の中心人物に

義光方に味方になるよう懐柔政策を行い

連合軍は崩壊します。

天童軍の劣勢を見るや否や

成生伯耆守も義光方に裏切り加担。

1584年、天童城に総攻撃をかけ

落城させました。

 

成生伯耆守はその後

恩賞を貰う山形城下に向かう途中、

義光の放った侍によって切り殺されたとの

民話が残されており、

最上義光という武将は

鮭延氏や延沢氏、上山の里見氏等、

寝返えさせた武将は家来として

手厚く恩賞を与え重鎮にそえた

経歴もありますので民話の信憑性に

少し疑いが残る点があると思いました

 

写真の龍頭神社は成生楯の

土塁跡に建立されたとされる神社です。

 

天童城の歴史と史跡を詳しく

紹介した記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

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薬師神社と稲荷神社の大ケヤキ

 

樹齢は800年以上の

薬師神社と稲荷神社の大ケヤキ

成生楯の四方守護神として祀られたと

伝えられております。

 

 

地味な楯跡ですが

成生地区は中世の頃は

天童市の中心的な場所で

古い史跡も多く残されてますので

ぜひ足を延ばしてみてください。

 

以上、成生楯跡の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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成生楯の場所はこちらです。

  

成生楯跡の歴史と史跡

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