どーもKABUOです。
十二所城跡の調査を行いましたので
同地区の歴史と史跡をご紹介します。
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十二所城跡の歴史と史跡をご紹介!
十二所城本丸跡
十二所城の歴史ですが
比内地方を統治した浅利氏家臣
十二所信濃の居城であったとされ
当地に勢力を張りましたが
1582年
檜山城主安東愛季と浅利則祐、勝頼との
戦に相互に巻き込まれ死没します。
その後、安藤愛季の家臣
五城目兵庫が入城を果たしますが
その後、檜山安東氏と湊安東氏の
一族同士の内紛が始まると
度々城主が変わる事となります。
長興寺と十二所城代茂木氏墓地
1600年、関ヶ原の合戦の後
常陸の国から秋田に佐竹氏が入封し
久保田藩を立藩。
その後1617年、一国一城令によって
十二所城が廃城となり城割は破却され
再来館と呼ばれる居館に改築されると
1683年
佐竹家家臣、茂木知恒が
十二所城代として赴任し
以後幕末まで茂木によって
南部比内地方の統治に当たります
写真のこちらは
十二所城代を勤めた茂木氏の墓地で
茂木氏の菩提寺は羽後町にの能持寺ですが
23代知暢から31代知繁までのお墓が
こちらにあり長興寺が管理を行っております
十二所番所跡
十二所は旧南部藩と国境を接していたので
こちらの番所で取り締まりを行いました。
1868年
東北戊辰戦争が起こりますと
新政府軍に付いた佐竹氏に対し
奥羽越列藩同盟による
攻撃が秋田県内で各地で起こります
この十二所城も例外ではなく
南部藩による侵攻を受け
茂木筑後が奮戦するものの
力及びず敗戦をしまい十二所一帯を
焼き払われてしまいました。
以上
十二所城の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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