KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

戦国大名、浅利氏の歴史と史跡のご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

秋田県比内地方を統治しました

戦国武将、浅利氏について

比内地方をまわり調査しましたので

歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

 

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戦国武将、浅利氏の歴史と史跡のご紹介!

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十狐城跡

 

浅利氏は中世比内地方を統治した

戦国武将になります。

 

清和源氏の流れを組む浅利氏は

もとは甲斐国の浅利郷を

本領としておりましたが、

 

1189年

浅利義遠源頼朝とともに

壇之浦の戦いで武功を挙げ

秋田県比内地方を地頭として拝領します

 

その後、

南北朝の動乱室町時代までの

記録が少なく詳細な情報は不明ですが

浅利則頼の時代に大館市比内町独鈷に

十狐城を築城し最盛期を迎えました。

 

 

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大日神社

 

十狐城跡の南側にあります

大日神社。

 

別名金剛山大日堂、

独鈷大日堂とも呼ばれ

真言宗霊場として創められ

浅利氏の氏神となります。

 

その後、浅利氏と南部氏との戦いで

お堂が壊された後、

浅利則頼によって再建されました

 

お堂内に行基作の大日如来像と

則頼が愛蔵した琵琶が保存されております

 

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 鳳凰山玉林寺

 

こちらのお寺は浅利氏の菩提寺

鳳凰山玉林寺。

則頼によって開基されたお寺です。

 

当初、居城近くの鳳凰山の麓に

お寺を建立しましたが数年後、

東館村独鈷の本城下和田山に移転し

その後1603年、大館市中心街に

再移転となりました。

 

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花岡城跡(大館工業高校跡地)

 

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笹館城跡(養牛寺境内)

 

領内にあります

豊富な森林財源や鉱山を狙われてしまい

東は南部氏、西は安東氏、北は津軽氏と

強国に囲まれ戦が続きますと

次第に国力を落とす事となります。

 

こちらの花岡城跡や笹館城跡は

浅利氏の支城です。

 

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長岡城跡(道の駅ひない) 

 

1550年

浅利則頼が死去しますと

側室の子である嫡男則祐が

浅利家当主となります。

 

しかし正室との間に生まれた

弟勝頼との間に確執が生じてしまい

1562年、安東愛季と結託した

勝頼の裏切りによって長岡城に攻め込み

則祐を自害へと追いやりました。

 

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大館城跡(桂城公園) 

 

則祐の死後、

浅利家は勝頼が当主を継ぐと

安東愛季に被官し大館城の築城や

南部領土に侵攻し武功をあげる

活躍をみせましたが

安東氏家臣団の中でも勢力が強く

次第に独立を目指すようになると

安東氏との抗争へと

発展して行く事となります

 

浅利氏優勢で戦が進むと

安東愛季が和睦を提案。

案を受け入れた勝頼が酒席を設けた

安東氏居城檜山城へと向かいましたが

酒席の最中、安東氏家臣によって

暗殺されてしまい浅利氏は

瓦解してしまうのでありました。

 

大館城の歴史と史跡の

紹介の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

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大館城本丸跡

 

勝頼の死後、子息勝平は

津軽氏を頼りに落ち延び

津軽氏の庇護化に置かれますが

安東氏と南部氏の間に比内地方を巡る

抗争が繰り返し行われるようになると

安東愛季の次男、安東実季によって

大館城に呼び戻され比内地方の領主として

再び被管し安東氏に仕えます。

 

しかし浅利氏再復興を目指す勝平と

実季の間に再び確執が生じてしまい

紛争を繰り返し、豊臣政権による

仲立ちもありましたが

両者不満がくすぶるばかりでした

 

そんな中、1598年

上格した勝平が突然急死します。

当主を失った浅利氏は瓦解し、

戦国大名浅利氏は滅亡してしまいました。

 

この急死に関して浅利氏の記録によると

毒殺されたとの記録が残されており

恐らく安東氏の暗躍があったと思われ

 その後、浅利一族は秋田に入部した

佐竹氏の鷹匠として仕えたと

記録に残されております。

 

以上、

戦国大名浅利氏の

歴史と史跡のご紹介でした。

 

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