KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

藤崎町 藤崎城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

青森県津軽地方の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました

今回は津軽安藤氏の居城でもあった

藤崎城の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

 

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藤崎城の歴史と史跡をご紹介!

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藤崎八幡宮 藤崎城跡

 

藤崎八幡宮にあります

藤崎安東城・白鳥城とも

呼ばれております。

 

安東氏の出自ですが

前九年の役源義家と戦った

安部貞任の第二子 、高星丸が

津軽地方藤崎の地に落ち延び

安部十郎貞義と名乗り、

貞義の子らによって藤崎城を築城

以来子孫が安東氏と名乗るようになり

安東氏の歴史が始まります。

 

 

藤崎城の場所はこちらです。

 

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安東氏は津軽半島を治めるにあたり

藤崎城を拠点に統治を始めると

十三湖(十三湊)で交易を行う事で

勢力を拡大させるのでありました

 

藤崎八幡宮の敷地内には

藤崎城の土塁跡や史跡が

数多く残っております。

 

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津軽地方を統治していた安東氏ですが、

南北朝の動乱の際

主家と分家で北朝南朝派に別れてしまい

一族で争いが行われるようになると

 徐々に国力が衰退。

 

その後、八戸で勢力を伸ばした

南部氏との勢力争いに破れ

蝦夷地に逃れた一派と

秋田に逃れ檜山城を築城し

戦国時代を生き抜いた

秋田安東氏に分かれました。

 

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藤崎城は南部氏の手に落ち

津軽地方一帯を南部氏が

統治してましたが、

南部氏の家中の内乱の最中

同じ一族であり弘前藩初代藩主

津軽為信の裏切りによって

次々と南部氏の城が落とされ

藤崎城は津軽氏の支城となります。

 

津軽為信正室の義理の父

大浦為則の子、五郎、六郎を

城番として置いたそうですが

二人は相次いで水死した為、

藤崎城を廃城することまりますが

その裏には後の家督争いを警戒した

津軽為信によって暗殺された説も

考えられております。

 

現在は藤崎城の跡地は

藤崎八幡宮が建造され

藤崎町民の憩いの場所になっております

 

以上

藤崎城の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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