どーもKABUOです。
山形から仙台に向かう
二口街道沿いにあります
史跡巡りを行っておりました
前回の記事はこちらです
今回は
勝負の神様がいるとされる
秋保神社に参拝しに行った時の
お話をさせて頂きます。
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勝負の神様、秋保神社で参拝した話
宮城県道62号線
二口街道沿いを進みますと
秋保神社に到着!
看板にvictoryと書いてありますね!
("⌒∇⌒")
こちらが
秋保神社の場所になります。
秋保神社の由緒ですが
平安初期の大同3年(西暦808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社(現在は摂社として御本殿の南側に鎮座)を祀ったと伝えられ、1200年の歴史を有します。
時代は下り、今より凡そ500年前の室町時代には、秋保村領主秋保氏の祖先平盛房が諏訪神社を勧請、熊野神社に代わって秋保郷の守護神とし崇拝しました。元々秋保氏の祖先平重盛の孫である資元は平氏で、西海に没落の後、平基盛に至り永仁3年鎌倉将軍維康親王に仕え、奥州名取郡を賜り秋保郷に居住し、徳治2年には左近衛将監に任じられました。
数代を経て、平盛房に至り明応9年深谷大曲城主の永井掃部晴信に攻められ、再び没落して最上山形に流浪し、天童に留まること12年余り、厭世の極み、西海巡礼を思い立ち、途中信州は諏訪に鎮座の諏訪大神に本土恢復を祈願しました。数年後天童に帰ると、秋保郷では永井氏が民をしいたげ非道であったため、民の苦しみは甚しく、しかるに盛房を慕いこれを天童より迎え入れ、永井氏の居城戸崎を攻めてこれを亡しました。早速盛房は信州諏訪の神霊を奉じ来りてこの地に勧請し、祈願所としたと伝えられ、時に永正10年(西暦1513年)でありました。
爾後戦勝の御神徳により伊達家の尊崇も寄せられ、正保3年には二代藩主忠宗公の参詣があり、伊達家の永久祈祷を仰せ付けられ、慶長5年には大社が建立されました。
明治5年には村社に列せられ、同40年には供進社に指定され、42年勅令により、秋保五カ村の大字馬場の愛宕社をはじめ、長袋の神明社、新川の新川神社、湯元の湯神社、境野の八幡社、羽山社、新川の白山社の各神社を合祀、諏訪神社の社号を秋保神社と改め、名実ともに秋保総社となりました。
御祭神は建御名方神をはじめ天照皇大神他七柱を祀り、生活安定・五穀豊穣、火防、開発、開拓、特に勝負の神、大願成就、開運の神様として名高く、御利益は多方面に亘りあらたかであります。
(公式ホームページ引用)
古くからは「お諏訪さま」と呼ばれ
秋保の村々の信仰の対象とされて
いたそうで、
最近では
フィギュアスケートの羽生結弦、
ボクシングの村田諒太選手が
参拝にお越しになられ
見事金メダルを手にしました。
・・・・
めっちゃご利益があるじゃん
( *゚A゚)!!
ここで参拝すれば
どんな勝負にでも勝てるって
訳なんですね~。
では社殿で参拝しましょう
以前はのぼり旗も無く
地味な神社でしたか
今では活気に満ち溢れており
お話を聞いたところ
抜刀の方を呼んで悪縁切り抜刀等の
行事も開催される事となり
ますます活気に磨きが
かかるそうです。
では最後にこちらの写真を・・・
(/▽\)♪
いまさら説明する事はないでしょう(笑)
何か勝負をかける
大事な時がありましたら
こちらの神社で参拝してみては
いかがでしょうか
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