KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

仙台市青葉区 定義山西方寺の歴史をご紹介!卍

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どーもKABUOです。

 

定義山西方寺に行って参りました、

今回は定義山西方寺の歴史や

魅力をご紹介できればと思います。

 

 定義山西方寺をご紹介!

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 西方寺門前町

 

門前町の参道を歩けば

定義山名物の三角あぶらあげ

店内に並ばれておりお土産屋さん以外にも

お食事処やオシャレなカフェがありました。

 

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 山門

 

昭和6年に建造された山門

両端には金剛力士像がたっています。

 

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 貞義

 

ここで

定義山西方寺の歴史を紹介します。

 

当寺には、平重盛重臣である肥後貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだとされる平家落人伝説が残る。貞能が安徳天皇平氏一門の冥福を祈って阿弥陀如来を安置し、また改名して「定義」(さだよし)と名乗った。この「定義」を「じょうぎ」と音読みして[6]、当地では阿弥陀如来を定義如来と称し、当地もまた「定義じょうげ[6]」「上下じょうげ)」と呼ばれるようになった。

(Wikipedia引用)

 

こちらの貞義堂は

平貞義の墓所の上に建てられた鞘堂で

旧本堂になります。

 

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天皇

 

壇之浦の戦いの後、

平貞義はこの地に落ち延び

安徳天皇の遺品をこの天皇塚の前に

二本のケヤキを目印に埋めたとされます。

 

その後、

二つのケヤキ一つになり

連理のケヤキと呼ばれ

縁結びのご神木として

パワースポットに訪れる

参拝者がお参りするようになりました。

 

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西方寺本堂

 

平成11年に完成した

西方寺の新本堂です

 

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五重塔

 

平貞義公への報恩感謝とその御供養と

人類の恒久平和を祈念する

シンボルの塔として建立されました。

 

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参拝の帰り道門前町に戻って

名物の三角あぶらあげ

頂いてから帰ります。

 

以上

定義山西方寺の歴史のご紹介でした。

 

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