KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

東根市 東根城の歴史と史跡をご紹介!(波乱の戦国時代編)🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県東根市にありますお城跡、

東根城を巡りましたので1部・2部に分け

お城の歴史と史跡をご紹介します。

 

前回の記事はこちらです

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今回は戦国時代を中心に

最上義光との戦いや廃城になった経緯、

その後、江戸時代の東根城の

様子を中心にご紹介します。

 

 

 

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戦国時代の東根城の歴史をご紹介!🏯

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光専寺沼

 

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龍興寺沼公園

 

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中沼

 

南北朝動乱の時代の最中、

最上氏によって東村山地方が統治されると

東根城には同じ一族であります

天童城主天童頼直の四男、

天童頼高が入部し東根氏と称し

東根の地を治めました。

 

東根氏はその後、

一族である天童氏と共に

村山地域の国人衆と同盟関係を結び

村山地方の統治を進めて行きますが、

1577年、宗家山形城主最上義光

天童氏との間に亀裂が生じると

村山地方の覇権をかけた戦いが始まります。

 

天童氏と東根氏、同盟軍は

最上勢に対して奮戦、

一時停戦し和睦を結ぶ事となり

お互いの矛を収める結果となりました。

 

東根城趾周辺にあるこちらの沼は

東根城の堀跡だと言われており

堀を見る限り東根城は防御面の強い 

強固なお城だった思われます。

 

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浄国寺

 

一度は和睦を行った最上義光でしたが

虎視眈々と戦略を練り

同盟軍相手に懐柔政策を行い

最上勢へと引き入れる事に成功。

 

しかし東根城主であった

東根頼景は天童氏の一族であった為、

最上義光に対して対決姿勢をみせ

あくまで抵抗を続けますました。 

そこで最上義光は東根頼景の重臣である

里見景佐と内応し頼景を

裏切る手筈を整えます。

 

そして1581年、

東根頼景は十数人の部下と共に暗殺され、

非業の死を遂げると

その後1584年天童氏も最上義光との

戦いに破れ滅亡の道をたどりました。

 

写真の浄国寺の山門は

東根城の城門から移転された

伝えられております。

 

最上義光と天童氏の戦いの歴史を

紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

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東根国分寺薬師堂

 

最上義光は東根城を手中に収めると

協力要請に応じた里見景佐に城代を抜擢。

その後、里見景佐は最上義光と共に

数々の戦に従軍し東根城下の整備を行い、

東北の関ヶ原、慶長出羽合戦では、

上杉勢相手に奮戦する活躍を見せ

合戦後、東根1万2千石を承りました

 

こちらの東根国分寺

1601年に秋田県仙北地方の

小野寺道宜を攻略した際に

戦利品として薬師如来を持ち帰り

東根国分寺に安置したと

伝えられております。

 

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梅ヶ枝清水 めがすず

 

こちらの梅ヶ枝清水めがすずさんには

里見景佐にまつわる史跡が

残されております。

 

東根城主、東根(里見)景佐の弟に

広台殿という殿がおりました。

近くの山に鷹の巣があると聞き、

家来と共に取りに行ったところ

岩場から落ちて亡くなりました。

奥方は遺体を緑の草原に休ませ、

付近に咲いていた草花をその上にささげた

その丘が、花岡と呼ばれるようになった

奥方は悲しみの余り泉に身を投じて

殿の後を追ったとされる

奥方の名前が梅ヶ枝清水であったので

その泉を梅ヶ清水というようになった

(案内板引用)

 

めがすずさんには梅ヶ清水が残こされており

現在では古民家を活用した

地元ならではの食材を使った

レストランが営業されております。

 

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里見景佐公の御霊屋

 

江戸時代、

山形藩を立藩した最上家でありましたが

最上義光死後、最上家の跡継ぎを巡る

家臣同士の内紛が起こり家中は混乱に陥り

崩壊の一途を辿っておりました

 

里見景佐はその状況を嘆き

「最上家はもう三年と持たないだろう」 

 という言葉を残し

1620年、里見景佐は死去。 

そしてその言葉どうり、

1622年、最上家が改易され、

近江一万石と大幅な減石、

そして東根氏は徳島藩預かりの身となり

その後、徳島藩に仕えたとされます。

 

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東根の大ケヤキ

 

その後、東根城は山形城の支城として

存続しましたが1661年に廃城。

跡地に愛宕神社を創建。

 

1688年、山形城主であった

松平忠弘が宇都宮に転封となると

東根領は宇都宮藩の飛地領土となると

領土を管理するため城跡には

東根陣屋がおかれましたが、

1742年、幕府の天領とされ

 幕末、明治時代を迎えます。

 

東根小学校にあります東根の大ケヤキ

国指定特別天然記念物に指定され

樹齢1500年以上に及び

東根城や東根地区の歴史を

長く見守り続けました。

 

東根城もさることながら

周辺地域にも多く史跡が残されており

東根市の歴史を深く触れる事ができますので

東根市に観光にお越しの際は

東根城跡にもぜひ訪れてみてください

 

以上

東根城と周辺地域の歴史紹介でした

 

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東根城と史跡跡の

アクセス場所はこちらです。

 

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