KABUOの東北歴史巡り

どーもKABUOといいます。地元山形を中心に東北各地や海外など旅してまわっています。各地で巡った地域の歴史や史跡などをご紹介してますのでぜひご覧ください

横手市 大鳥井山遺跡の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

秋田県横手市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

古代平安時代にこの地を治めた

豪族清原氏の居館とされ

国指定史跡にも登録されています

大鳥井山遺跡の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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大鳥井山遺跡の歴史と史跡をご紹介!

 

大鳥井山遺跡イメージ図

 

 

大鳥井山遺跡発掘調査の風景

 

秋田県横手市新坂町、

横手駅から北に約3km程にあります

大鳥井山遺跡。

横手市横手市新坂町・大鳥町に

総合運動公園の整備が計画され

その調査の過程で発見されました。

 

標高は約70mの独立丘陵で

かつては大鳥井山とも呼ばれており、

丘陵の南側と西側に横手川、

東側を杉沢川が流れ北西側で

合流しています。

遺跡から旧石器時代縄文時代

石器・住居・食料を貯蔵する穴

土器等も発掘されているなど

石器・縄文時代から

この地に人々が集落を形成しました。

 

 

大鳥井山遺跡地図

 

その後時代が進み、

平安時代出羽国で巨大な勢力を誇った

豪族清原光頼・頼遠(大鳥居太郎)

父子によって大鳥井柵が

この地に築かれたと伝えられています。

 

清原氏は1051-62年に

起こった前九年の役により

岩手奥六郡の豪族安倍氏

源頼義・義家親子と共に討伐を行い、

合戦後その恩賞として

奥羽一帯の領地を得て、

また清原光頼の弟清原武則

鎮守府将軍に任命される等、

清原氏は東北地方一帯で

絶大な勢力を誇りました。

 

 

 

二重の堀と土塁跡

 

しかし1083-87年に、

後三年の役と呼ばれる

清原真衡・清衡・家衡による

一族同士の内紛が勃発すると、

大鳥井柵は家衡の出城として使用され、

清衡・源義家の連合軍と籠城戦を行うも

籠城を行った金沢城と共に焼失、

戦いに勝利した清衡は藤原氏と名乗り

奥州藤原氏の祖となります。

やがて清衡の三男正衡によって

再び城柵が築かれ関根柵と呼ばれました。

 

 

大鳥井山神社

 

 

十三塚

 

1189年、奥州藤原氏は滅亡しましたが

その際大鳥井柵の

歴史や記録は残されておらず、

鎌倉軍に攻め滅ぼされ焼失したか、

廃城となったと思われます。

その後中世の時代から近世の時代にかけ、

大鳥井山は修験や宗教施設のような

信仰の場所として人々が崇め奉るようになり

十三塚や大鳥井山神社が建立されました。

 

 

 

横手市公文書館と土塁跡

(旧鳳中学校と学校グランド)

 

大鳥井山遺跡を歩いてみると

運動公園や旧鳳中学校整備されているので

遺跡という感覚はあまり感じられませんが、

公園外周に沿って

土塁や空堀が残されており、

防御性の高い強大な柵が

築かれていた事がよく分かります。

 

特に南側の大鳥井山神社付近の

二重堀と土塁が見応えがありますので

古代の時代に想像を膨らませながら

ぜひ大鳥井山遺跡を

巡ってみてはいかがでしょうか(*´∀`)♪。

以上大鳥井山遺跡の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

横手市の城郭跡

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